2019年01月07日

吉野水分神社 建築に荘厳された聖なる空虚。

こんばんは。渡辺菊眞です。

年末は29日にD研究所のメンバーと吉野分神社に参拝にいきました。
初詣ならぬ、年収めの参拝といった感じでしょうか。

吉野水分神社は蔵王堂がある吉野修験行場の入口あたりから、奥に向けて4.5kmほど進んだ場所にある神社です。
蔵王堂門前に並ぶ吉野建て(崖に張り出した懸け造り建築)建築群が一旦尽きて、家一つない寂しい道を
歩きつつ、最後に神社門前に小さな村落が迎えてくれる、そんな場所にある神社です。


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本殿形式は特殊で、真ん中に春日造りの社殿が鎮座し、左右の相の間を介して三間社流れ造り(千鳥破風付き)が接続して全体に大屋根が架かるというものです。言葉は幼稚ですが、素直に格好いい社殿だといつも感じています。

水分神社はその名の通り、谷筋の源に位置し、水を守る神社です。


社地は狭小地であり、どうにか確保した長方形の平地をロの字型に囲いこんでいます。下の写真ですと向って左が本殿、向って右が拝殿です。
神門は矩形の短辺に位置するため、門をくぐると左右に分たれた拝殿と本殿の間にある空隙に導かれます。

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神門はモノトーンの他の社殿に比べるとひと際華やかです。

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また本殿と向き合う拝殿は質実な建築であり、重々しい暗がりを内にたたえています。

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さて、この拝殿ですが、裏側に回り込むとかなりの懸け造りであることがわかります。

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拝殿裏にある裏廻廊が宙に浮かびます。厳しい風雪に耐えて屹立する建築の姿が心に迫ります。

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懸造の拝殿は、建築成立の順序の証としてよく語られます。神さまの建築である本殿が先に平地を確保して立ち上がり、そのあとに形成される人の参拝場所である拝殿が平地不在のために懸造りにならざるを得ないというものです。

吉野水分神社の空間を改めて見るとき、厳しく立ち上がる拝殿の様相を中庭からは感じさせす、神の場への入口である神門を起点に左に質実な拝殿、右の高台に華やかな本殿があり、それに挟まれた何もない空虚が浮かび上がります。2つの横長建築に挟まれた奥行のある小さな平地こそが、神域であり、それを荘厳にするために社殿があるようにも見えます。谷奥の聖なる空虚。それが吉野水分神社ではないかと、思った次第です。

posted by 渡辺菊眞 at 20:48| Comment(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月05日

佐賀の茅葺き民家その3 クド造の展開力。

おはようございます。渡辺菊眞です。
昨日、奈良から高知にもどってまいりました。

どうでもよいですが、私の居た時間ランキング(2019年現在)で、1位:奈良22年 2位:京都 17年 3位:高知10年
となっています。どうでもよいですね。。

さて、今回は前回に報告したクド造の応用編です。

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これは肥前鹿島市にある、旧乗田家住宅です。農家ではなく、江戸時代後期の武家屋敷です。

玄関側から撮影したものですが、コの字型の屋根を把握できません。「L型じゃないか」と思ってしまいます。
これはコの字の背中側であり、Lにみえるのはコの字の一辺が延長されてカタカナの「ユの字型」になってしまっているからです。

応用ポイントとして、コの字を形成するウイングを適宜延長させることが可能ということです。

次に応用とは違いますが、この武家屋敷、壁の立ち上がりが非常に高いです。以前紹介した山口家住宅と比較すると、
その差は歴然としています(下が山口家住宅)。

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その結果、茅葺き屋根が建築全体のなかでしめる割合が小さくなり、機能というよりは象徴としての屋根に転じているようです。

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コの字で生じる屋根の空隙幅も広くなり、雨落としの片流れ屋根も相当な幅を持ちます。前回紹介したものと比較するとその幅広さはより
はっきりします(下が前回紹介した農家としてクド造。コの字の空隙幅はとても狭い)。

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幅広になると、耐風性が落ちることが予想されますが、壁の頑強さ、そしてユの字にしたことで風向きに対抗するヴォリュームが出来たこと、
そして相対的に縮小した屋根の大きさで対応しているものと予測できます。

そして、幅広い雨落とし屋根は、当然のその内部に広い空間を用意します。

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内部に目を転じるとベンガラに彩られた洒落たダイドコ空間となっていることがわかります。

また、茅葺きの寄せ棟屋根の一部には小さな2階空間を組み込んでいます。下の写真は2階の「子供部屋」です。

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厳しい条件と制約のなかで成立した農家のクド造は武家屋敷となり、平面形状に自由度がうまれ、屋根は象徴としての役目に転じ、コノ字の
空隙空間も広さを獲得します。また屋根の中に2階がしこまれるなど、平面だけでなく立体的な自由度も増します。

その一方で原型が持つ根源性は当然うすまっていきます。

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ところどころにある吹抜けからのぞく茅葺き屋根の暗がりが、根源性の「尾てい骨」のように、その原型の厳しさを静かにしめしています。

武家屋敷のほかにも街道町にたつ、町家としてのクド造など、他の応用例もこの近辺でみかけました。

「原型と応用」。
「原型なき応用」がそのバリエーションを無限に広げている現在建築を思う時、いまいちど立ち止まって考える必要を感じます。
佐賀で出会った民家たちには、そんなことを感じさせてくれました。

どうもありがとうございました。見たことが無駄にならないよう、改めて精進したいと思います。
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2019年01月03日

佐賀の茅葺き民家その2 クド造の民家

おはようございます。渡辺菊眞です。

佐賀の茅葺き民家その2です。今回はコの字の茅葺き屋根を持つ、クド造の民家について御報告します。

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写真は多久市にある、移築された2つのクド造民家です。移築されているとはいえ、この近隣にクド造の民家は多く、この地域周辺に
多くみられる民家の形式だといえます(漏斗造の民家よりは随分北方です)。

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それにしても、コの字で生まれる空隙のこの狭さ。もっと離すか、寄せ棟ひとつでまとめたら、など思ってしまいますが、これができないのは
先にあげた諸説によります。おさらいすると、

巨大寄せ棟屋根(この勾配のまま寄棟でまとめると超巨大な屋根になってしまいます)は冬の強風に耐えられない。
同じく、距離のあいたコの字だと、耐風対策の屋根として機能しがたい(風に対して平べったくなるので)。
使用できる梁に制限がある。

などです。

コの字になることで、漏斗造とは違って内樋にすることから開放されます。

コの字にはさまれた空間には極小の片流れ屋根がかかります。これは雨落としのための屋根ですが、この下にできる独特な小空間は、
活用すべき空間として積極的に意識されていきます。

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漏斗造の場合は漏斗下にできる空間と、下にあてがわれた室はほぼ連動なかったですが、クド造の場合はこの狭いながらも独特の空間形状
を意識した平面が組み込まれています。

コの字のクド造は、独特な屋根形式を持つとはいえ、何かここを起点に応用が効く形式であることが予感されます。
例えばコの字のウイングの一部を延長する(幾つもの延長パターンが予想されます)とか。。

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この応用が効きそうな空間性ゆえか、漏斗造と比較すると、この形式の民家はまだ数多く見ることができます。
具体的にはどんな応用が可能なのか?そんな応用編については、次回に御報告します。

渡辺菊眞

posted by 渡辺菊眞 at 10:30| Comment(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

佐賀の茅葺き民家その1。漏斗造。

おはようございます。渡辺菊眞です。

今回から昨年末に見た佐賀の茅葺き民家について御報告したいと思います。

まずは漏斗造の民家。
漏斗造りとは寄せ棟屋根の中央に、逆ピラミッド型、すなわち漏斗がある屋根形式を持つ民家のことです。
写真は国指定重要文化財の山口家住宅です。

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漏斗造である結果として、内部には漏斗が垂れ下がり、その最下部から内樋が外部に向けて貫通していきます。
なぜ、寄せ棟屋根にしきらないのか? ここには諸説があるようです。

使用できる梁の長さに制限があった。寄せ棟屋根を立ち上げきると冬期の強風に耐えることはできない(すっとんでいく)。などなど。

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いずれにしてもかなり特殊な屋根形状であり、さらに、ロの字型という自己完結的な形状ゆえに、この形式を保持するか、破棄するか。
という2択を迫られるようです(これを保持して部分的に増築をするなどの展開はほぼ見られません)。

ある種、強固な覚悟の上になりたつ空間形式だと感じました。この地に50年ほどまえには数多くあった漏斗造民家も、その多くは消失、
あるいは屋根形式を全く変えてしまうなど。そのことにより、その姿を見るのが難しいというのが現状です。

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外壁の最も低い箇所では1500mmしかなく、そこから大屋根が獣よろしく立ち上がっていきます。

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内部を貫通した樋はその舌先を雨水受けの桶に伸ばします。

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現在、山口家はご主人の山口さんが居住しながら家を守っておられます。穏やかな口調で家のことをお話してくださりましたが、その困難さや
家をまもっていくことの覚悟、そしてその迫力を感じました。

安直なことは言えないですが、例をみない珠玉の民家だと感じます。残っていって欲しいと切に願う住宅でした。
posted by 渡辺菊眞 at 09:52| Comment(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

原点回帰の2019年。ゼロからふたたび。

あけましておめでとうございます。渡辺菊眞です。

今年2019年は亥年。私は亥年生まれ。ということで年男です。

D研究所が発足したのは2007年1月1日。やはり亥年でした。
当時は単なる任意団体であり、一級建築士事務所になったのはその1年後です。

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いずれにしても発足から12年がたったわけです。
昨年はさまざまな設計業務が重なり、いろいろやりがいがあると思いつつ、その一方で忙殺され、根元が見えにくくなるとい
う反省の多い年でもありました。このまま進んでもロクでもないと直観した次第です。

そこで、亥年のはじまりを機に、改めてD研究所は原点回帰したいと思います。ゼロからの再開です。
しかし、この12年間がゼロというわけではありません。蓄積をエネルギーに変えてゼロから走りだします。

D研究所は、ワクワクするなら絶対やる。逆に心に響かないことはしない。というのが発足当初からの基本姿勢です。
これはただのわがままではなく、一見可能性がないように見えることも、ワクワクしうる道筋へと展開させることが
基本となります。

今年はすべてワクワクし、内的環境に響くような建築をつくりあげたいと誓っております。

ゼロから始動するD研究所をこれからもよろしくお願いいたします。

D環境造形システム研究所 渡辺菊眞 高橋俊也 片岡鉄男 三島宏太 城田和典

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追伸、D研究所=宙地の間から拝んだ初日の出です。

posted by 渡辺菊眞 at 09:20| Comment(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月31日

2年間凍結してましたが、解凍開始します。

こんにちは。渡辺菊眞です。
大変ご無沙汰してしまっております。何とこれ以前の投稿は2016年の大晦日。まるまる2年間の凍結でした。

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D研究所(D環境造形システム研究所)の活動はもちろん、活発におこなっており、凍結していたわけではございません。
ブログをかけずじまいだったのです。特に理由はないのですが。。

さて、そろそろ凍結は終わりにして、本日、18年の大晦日にまずは解凍し、しっかりと再開宣言したく思います。

今年はとかく忙しく、土日は設計業務のかきいれ時として。それ以外は大学での活動と設計業務を並行させていました。
例年にない忙しさで、その一方で根元にあるべきことが少しずつズレたりみえにくくなってしまったという反省があります。

現在は奈良の自邸「宙地の間 日時計のあるPassive House」に居ます。ここはD研究所所在地でもあります。
いまいちどここで根本を見つめ直し、2019年から先に進みたいと思います。

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太陽の運行が都の計画に組み込まれている大和の地でふたたび。これからのD研究所は根元を固めつつ新しいステージへと歩を進めていきます。

というわけで、凍結終了。解凍開始宣言でした。
posted by 渡辺菊眞 at 11:21| Comment(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

2016年を振り返りつつ2017年へ。

こんにちは。渡辺菊眞です。
本日は2016年12月31日。2016年の最終日です。そこで、本年を振り返りつつ、来る2017年へ向かって、思うことを記してみたいと思います。

まずは高知高法寺の浮遊茶室:地空庵。

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建設は15年の夏から開始したのですが、なかなかに手強い建築で、今年も渡辺研究室のメンバーとコツコツと進めてきました。

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浮遊茶室と土嚢の円庭は完成。現在は土嚢外壁の左官工事をやっていますが、これまた手強い。来春にどうにかやりきりたいと思っています。完成まで、しばし、お待ちください。

次は、タイ国境の孤児院兼学校:虹の学校学舎「天翔る方舟」の改修工事です。

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今年3月にタイの現地常駐の片岡鉄男氏、ガリアン族の大工さん、引き連れて来た渡辺研究室メンバーとの合同チームで改修を行いました。「方舟」は2013年の夏に竣工しましたが、それから早くも2年半が過ぎ、草屋根と竹床などの仮設造作部分が傷んできたので、第一回目の大規模改修となりました。この定期的な改修は竹建築や草屋根の建設技術の継承、そして材料生産体勢の維持にとっても重要な活動です。メンテフリーでないことに意味があるのです。

しかも、ただ改修するだけだと、維持のみで発展がありません。今回は竣工時には気付かなかった、冗長な意匠を削ぎ落として、より根源的な構成を持つ建築を目指しました。

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「母なる大地としての土嚢洞窟」と「強靭な父なる太陽から保護する大屋根」。その間に「人が居る場所」があるという構成です。

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力強く「方舟」は蘇りました。

そして、今年の下半期に、全身全霊を捧げて取り組んだのが金峯神社救出プロジェクトです。

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ひょんなことから金峯神社に遭遇したのが2016年の冬。2014年の大雨で柱が礎石からズレ落ちて、大きく傾いた状態でした。前面の大梁が柱から落ちてしまい、建具をおさえつけていて、開かずの社殿となっていました。社殿の傾きは日々大きくなり、このままではいつ崩壊するかわからない様態でした。社殿の中には春日造りの本殿と、さらにその中には御霊が宿る御神体が閉じ込められていて、社殿の崩壊とともにこれらも押しつぶされる危険がありました。そこで、狭い社地ではなく、その麓にある平地に仮の社殿を設置し、そこに本殿を移そうというプロジェクトが発足しました。「金峯神社遥拝殿プロジェクト」です。

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建設は梅雨時で、いつ崩壊するかわからない社殿を思うと、迅速な建設が必要とされ、また電気の通らない建設地であることから部材のカットを極力しないことが必要となり、さらには台風や地震に耐えうる強度も要求されました。しかも、現地には車で入れないため建築材料を徒歩1kmの道のりを何往復もして運びこまねばなりません(あまりに重たい素材はNGとなります)。

その結果、鋼管足場で架構し、重心の低い直角二等辺三角形の断面形状とし、ほぼ部材カットなしでつくれるよう設計しました。建設は5日で完遂。渡辺研究室メンバー総動員の現場でした。

本来はここに春日造りの本殿が山腹から降りてきて安置される予定でしたが、その大きさと重さ故に断念。御霊が宿るお神体のみを安置することになりました。

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秋には実に10年ぶりとなる祭礼が行われ、神社が息を吹き返しました。

しかし、課題が残りました。春日造りの本殿が壊れかけの社殿に閉じ込められたままです。秋も終わり、今年も終わろうとしている師走。社殿はより激しく崩壊に向かっていました。そこで意を決して、本殿を安置する社殿建設に踏み切りました。

大きな設計指針は要拝殿と同じ。

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鋼管足場による架構です。ただ、この社殿に本殿を移した後は、壊れかけの社殿を解体、社地を整備し、この社殿を本来の社地に移動する必要があります。移動することが義務づけられている社殿なのです。そこでキャスターを設置し移動可能な社殿として設計しました。通称「山車社殿 Movable Shrine」です。

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この社殿も渡辺研究室総出で6日間で建設を終えました。

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悲願であった、本殿移設も無事終えて、本年の「金峯神社プロジェクト」はひとまず完了しました。
新年からは山車社殿の残工事と、社地整備に入ります。

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時期を巻き戻してもう一度今年の夏。太陽建築の魅力を伝えるべく、山形県の庄内地方に赴きました。太陽建築の恩師、故:井山武司さんが命がけで取り組んだ太陽建築の魅力を、ワークショップを通じてこどもたちに伝えるというものです。教材は渡辺研究室手作りのものです。

このワークショップは井山さんの意志を伝えて少しでも広めていきたいという思いで活動されている太陽建築研究会の主宰です。

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こどもたちと、少しマニアックなおとなたちが混在して工作する、とても楽しい時間となりました。今後も毎年開催していきたいと研究会のみなさんと誓い合った次第です。

今年の主な活動は以上のようなものですが、最後に今年いただいた建築賞について。

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Architecture Asia Awards 2016にてWinnerとなりました。マレーシアのクアラルンプールでプレゼンをおこなったうえでの受賞です。「天翔る方舟」はこれまで数多くの国際賞をいただいてきましたが、今回は改修後の「方舟version02」の受賞であることに大きな意味があると思っています。発展的に継承していくこと。そこが評価されたのだと思うからです。

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金峯神社遥拝殿。World Architecture Community 23 CycleでWinnerとなりました。他の受賞者にはZAHA事務所なども居て、そこにこの小さく安価な仮設建築があるのは異色に見えますが、フラットな視点での評価があるのが、同賞の魅力だと感じています。今後の展開への励みになります。

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自宅兼D研究所である「宙地の間」。こちらはWorld Architecture Community 22 CycleでWinnerとなりました。

今年は一作品だけでなく、取り組んできた多種の作品に対して受賞することができ新しい展開を感じることができました。

来年は、金峯神社プロジェクトの最終章、地空庵の完成、大和の山中における新プロジェクトの始動、太陽建築の次なる展開が控えています。2007年に「すぐこことはるかかなたをつなぐ」を根本思想としてD研究所は活動してまいりましたが、それが発展深化具体化して「Universal Locality= Universal Sun × Local Earth」という概念に到達しました。来年はそのさらなる深化を実践を通して示したいと考えています。

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来年もD研究所をどうぞよろしくお願いいたします。

2016年12月31日朝。奈良平群町の「宙地の間」にて。 渡辺菊眞

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posted by 渡辺菊眞 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | D | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする