2016年08月29日

岩根沢三山神社の二重性

こんにちは。渡辺菊眞です。
今回も庄内来訪時にまわった建築について記します。岩根沢三山神社です。

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高台にある社殿。その前に石段、門が続き、その正面に街路が真っすぐ走ります。
街路は参道と考えられ、街路、門、石段、社殿が直列します。

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社殿正面は入母屋屋根の突出部を持ち、軒唐破風でさらに正面性を高めています。

しかし、この社殿部分は建物全体でいうと左端にあります。

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というのも、この建築は正面向かって左から社殿、客殿、庫裏が横並びに連結し、その上部に寄せ棟の大屋根を浮かべた長大な建築だからです。

この社殿内部ですが、

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神座があるとはいえ、平板な空間で、参道から一直線に引っ張って来た軸線上の構成を受け止めるほどの強度を感じません。入母屋の突出部あたりが意匠を凝らしたピークとなり、内部はなんてことない空間がただ、在るだけです。

社殿の隣は客殿。

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だだっ広い畳敷の空間が漠然と広がります。この客殿の左端に入り口が開きます。

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社殿前のそれと違って極めて簡素な入り口です。
この左奥が庫裏です。

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写真では伝わりにくいですが、野太い八角注が幾つか屹立する、黒々とした野性的(?)空間です。社殿内部の白々さと好対照な、力が漲る場所です。

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その上部には天井を張らず、無数の梁が暗闇を縦横に飛び回ります。東大寺南大門を見上げた時と同じような衝撃を感じる空間です。

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庫裏は日常的空間のなかでも、その日常性は最たるものですから、外部しつらえも必要最小限の皮膜で覆われています。開口らしき箇所もポリカーボネートで処理するほどの、どーでもよさです。

さて、この長大な大屋根建築ですが、その左端に神殿、右端に庫裏、中央に客殿ということで、左端から右端に向けて、聖域から日常の場をつなげています。しかし、庫裏の野太い柱、黒々とした中を疾駆する無数の梁、そこに漲る強い力を見る時、これがただの庫裏なんかではなく、その土地の力が雄々しく立ち上がる原初の空間性を感じます。神殿とは違ったもうひとつの「聖域」です。

客殿の空っぽな空間を中央におき、その左右に形式的に整えられた聖域と、土俗的な原初の聖域を据える、二重聖域を天秤にのせたような建築に思われます。

先の記事で、大きな屋根は「洞窟を漆黒の闇に封じ込めたもの」と記しましたが、岩根沢三山神社では、その漆黒を建築左端に並べた様態です。

元来は修験道(神仏習合が激しい)寺院だった、この神社、その習合は神仏ということにとどまらず、土俗的な大地性をも習合させながら、それらすべてを大きな屋根の下に包含する建築であったわけです。その大らかで逞しい姿に、何か力をもらったような気がしました。
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2016年08月26日

兜造りからー二次原型に思うこと。洞窟の封じ込めと切開、そして近代へー

こんにちは。渡辺菊眞です。
先の記事にあったように、東北は庄内地方に行ってまいりました。「親子で作る太陽の家」の講師をつとめることが主目的だったわけですが、同時に、その地にある建築を見て回りたいという思いも強く、自転車であちこちみてまわりました。

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鶴岡のとある博物館に移築された兜造りの民家。もともとは朝日村の田麦俣に建つものです。2002年に井山武司さん主宰の「太陽建築研究所」に住み込んでいた時期に、車で山形市に行く途中、井山さんに紹介していただきました。山間に幾棟かが屹立する姿に、ただただ衝撃を受け、「こんな格好いい民家があるんだ」と素朴に感動したことを記憶しています。しかし、それと同時に「こんな複雑な形状の民家がいきなり立ち上がるものなのか?」という疑問を持ち続けていました。ある環境下におかれた時、その応答形式として形ができる民家において、これは複雑過ぎると感じた次第です。ただ、こんなのは少し調べたら、その成立がわかるものなのに、何かと不勉強なゆえに、何も調べずに今日までほったらかしにしてました。

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移築されたこの建築はいまは展示空間となっていますが、その中に庄内地方に典型的な民家模型がありました。大きな寄せ棟屋根の建築です。兜造りは、明治期になって出羽三山参詣が下火になった際に、蚕を飼うために、この大きな寄せ棟屋根の妻側を切り取って、採光通風の窓を設けて成立したとのこと。要するに原型は寄せ棟屋根、社会状況の大変換にともなって妻側ぶち切りで、兜造りになったわけです。その意味で兜造りは「二次原型」とでも呼べると思います。

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上の写真のアングルだと寄せ棟時代の風情を感じることができます。

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切開されて蚕の空間となった3階の見上げ。光が入るとはいえ黒々とした空間です。。これを見つめているうちにいろいろ考えました。

原型たる寄せ棟屋根は、いうならば閉じ込められた漆黒の空間です。漆黒の空間の中には大蛇のようにうねりながら疾駆する梁や桁があるわけです。こういう屋根裏空間を稀に見る機会がある時、そこに縦穴住居のような大地と連続した原初の空間を、ついつい感じてしまいます。縦穴住居は大地に穴を堀り、そこに大屋根をかぶせただけの黒々とした空間です。それは言うならば洞窟の建築化です。

そのように見ていくと大きな屋根をもつ民家は、原初空間を大地から切り離し、柱で持ち上げて中空に封じ込めていることになります。そこに呪術的な意味があるのかないのかはわからないですが。

その封じ込められた空間に、有用性を見いだし、切開して多層階にしたのが兜造りです。使用しない広大な空間を孕む建築は、近代ではありえません。内側の空間の外皮がそのまま外部になるのが基本です。その意味で兜造りは民家の近代化を物語るものでもあります。ただ、この黒々とした空間に「お蚕さま」が無数に蠢く風景は、どこか有用性みたいなものを超える原初の風景を感じさせます。

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その一方で同じく明治時代初期に蚕を飼うという目的に叶うためだけに建設されたのが上の建物です。鶴岡市の松岡開墾場に6棟残されています。

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1層2層とも全て養蚕の空間。3層は上屋の通風口をあける通用廊下です。封じ込められた空間は皆無で、全木架構が露出しています。内部空間の外皮がそのまま外観になっています。短手方向の一断面を決めると、あとはそれを長手方向に連続させてつなげるだけです。完全な近代建築(モダニズム建築)の姿がここにあります。

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こうなると蚕の蠢きが放つ呪術性はふきとび、蚕ブロイラーな様相を呈します。「この建築は蚕を飼うための機械である」といったように。

「二次原型」の兜造りには、「洞窟建築の屋根への封じ込めと、その切開」という古代から近代をつなぐ時間が孕まれています。10年以上前にただただ衝撃を受けたこの建築に、いまもその衝撃はそのままでありつつも、その奥底にあるであろうことを考えた今回でした。




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2016年08月22日

「親子でつくる太陽の家」ワークショップ@庄内

こんにちは。渡辺菊眞です。
8月20日に山形県酒田市立「太陽の家」(井山武司設計)で「親子でつくる太陽の家」ワークショップが開催されました。

模型を作りながらPassive Solar House(機械を使わずに太陽の恵みを最大限受け入れることで、夏涼しく、冬温かい環境を実現する建築)の仕組みを学ぶことが、このワークショップの目的です。故:井山武司さんは、一生をかけてPassive Solar Houseに取り組んでこられました。私は2002年度の冬の厳寒時に、井山さん主宰の太陽建築研究所に住み込みで共同研究をさせていただきました。地吹雪が吹きすさぶなか、それでも温かい研究所のなかでPassive Solar Houseについて真摯に教えてくださったことが、いまでもイキイキとした情景として思い出されます。

今回は、そんなPassive Solar Houseの仕組みを簡易な模型を作りながら学びます。

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写真がつくる模型キットの完成版です。左が自分たちがいる大地を基準に、そこを巡る太陽の軌跡が季節によって変わることがわかる模型(天球モデル)。その右は太陽を中心に地球が地軸を傾け自転しながらも公転しているという、天体視点から太陽の家の仕組みを知る模型(公転モデル)。その上にのっているのは太陽の家の完成模型、そして右下は真っ暗で入り口しかない家が太陽の家になっていく過程を知る模型です。

簡易とはいえ、日々、模型を造り倒している私たち建築の輩とは違い、模型造りに不慣れな小学生です。作る分量も多いので、不安がありました。

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しかし、いざはじまると結構上手にカッターナイフを使いこなし、何より真剣なおももちで模型造にとりくんでいました。

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時折、お母さんに手伝ってもらうこともありますが、どちらかというと自分でつくりあげたい、やりきりたい、とおもっている子供たちが多かったです。

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太陽が高度を変えて天空を巡る「天球モデル」、地球が太陽のまわりを回る「公転モデル」を時間内(2時間)に作るまでには至らなかったですが、みんなが作業中に私が急いで作った両モデルを使って仕組みを解説。

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実感のわきにくい「公転モデル」を理解するのは難しそうでしたが、「天球」モデルは普段太陽を見る感覚とも近かったので子供たちは納得できたようでした。太陽のかわりに懐中電灯を使いました。。

この企画、2年前に太陽建築研究会と井山武司さんが実現させたいと強くねがっていたものでした。しかし、高知に最後の「太陽の家(井上邸)」を実現させたのち、井山さんは遠い場所へと逝ってしまわれました。

今回は会場自体が井山さんによる「太陽の家」であり、そのなかで「太陽の家」の仕組みを伝えるという贅沢な状況でした。また、井山さんが逝かれる直前まで病院のベッドでつくっておられたという高知の井上邸の大きな模型が展示されていました。井上邸ができた直後、「渡辺さん、完全なゼロエネルギーハウスができましたよ!」と興奮気味にはなされたていたことを思い出しました。

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井山さんは人間の存立は「「父なる太陽 母なる大地」の対句のもとにある。」と強く語り、その反映として「太陽の家」を構想実現し続けた方でした。天体視点を常に意識してPassve Solar Houseに取り組むその姿に私もとても強い感銘を受けるとともに、こういう視点で「太陽の家」の仕組みを伝えたいとも、強く感じておりました。

今回実現の運びになったのは、井山さんの思いを受け継がれた太陽建築研究会の方々のご尽力によります。まだ1回目で私自身の準備としても不充分な部分はありましたが、毎年どうにか続けていきたいと思います。また、自分自身、宇宙の中にあるPassive Houseの構築を進めていきたいと思っております。


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2016年08月18日

マレーシア雑感04 ペトロナスタワー。亡霊のごとく。

こんにちは。渡辺菊眞です。マレーシア雑感も本日で最後にしたいと思います。
最後はクアラルンプールのランドマーク、ペトロナスタワーのお話。

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東京新都庁と同じく、ツインタワーの超高層です。誰でも何らかのかたちで目にしたことがあるかと思います。
ステンレスとおぼしき金属質の外観は、熱帯の日中に見るにはギラギラしすぎて正直しんどいです。2年前に最初目にしたときは、そんなギラギラへのしんどさのせいであまり正視すべき建築ともおもっておりませんでした。

今回、都市をウロウロしていて、ふと見上げたり、遠望すると、とにかくヤツに出会います。

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ある時は超高層ビルの隙間から。

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ある時はビル群のはるか遠くに。

建て込んでいる大都市のなかの建物なので当然ながら足下は見えません。上層部のみを拝むことが圧倒的に多いわけです。それがどこか非現実な存在を思わせます。あんなギンギラにも関わらず。

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圧巻なのは、足下のモールのアトリウムから見えるヤツの姿です。トップライトの桟とガラス越しなこともあいまって、もはやヴァーチャルな存在へと変容してしまっています。こんな経験を重ねているうちにヤツは亡霊なのではないか?とまで思うようになってしまいました。

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このビルを、最も近くから、そして多くの人々が見ることのできる場所としてコンベンションセンターが面している広大な公園があります。公園に面して巨大なモールがありますが、このモール、実はツインタワーの足下を構成している建物です。にも関わらず、デザインとしては全く別種な商業建築の装いであるため、このモールごしからの風景ですら亡霊感があります。

ツインタワーを全貌できる場所は公園の反対側にあるのですが、そこにじっと集える場所もないため、公園側から見ることが圧倒的に多いわけです。その意味でも地に足のつかない亡霊的光景となります。

また、ニューヨークのようなグリッド都市に墓石のごとく整然とたつ超高層群ではなく、どこかバラバラとビルが立ち並んでいる混乱した都市風景も、この亡霊感を高めているように思います。

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日中はギラギラ建築ながら、それなのに実体感のないこと、月夜に照らされたときだけ静な光につつまれるさま。それらにアジアの建築を、なんだか感じてしまうのでした(設計者はシーザーペリなんだけど。。)。

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2016年08月16日

マレーシア雑感03-バトゥ洞窟

こんにちは。渡辺菊眞です。マレーシア雑感その3です。
今回はクアラルンプールから電車で30分ほど北にのぼったところ(距離にして10数キロといったところ)にあるバトゥ洞窟のお話です。

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バトゥ洞窟の母体となる山は唐突に垂直にせりあがった独立丘です。それまでフラットな地形がひろがっていて、この周辺もこの丘だけがいきなりある感じで、とても奇妙な印象を受けます。大和三山や平安京のゼロ座標たる船岡山のような感覚を覚えます。

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独立丘の内部にある洞窟はヒンドゥー教の聖地となっています。極彩色に彩られた具体性に満ち満ちた彫像であふれており、安っぽいテーマパークのような装いが洞窟下部にはひろがっています(ヒンドゥー寺院の壁面びっしりに埋められた極彩色彫像を見たときと同じ印象です)。

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この洞窟は極めて大きなドーム型をなしており、その大空間を上へ上へとのぼりつめていきます。その途上では先に漏れる光の神秘性と、上へ導く動線のダイナミズムがあり、期待感が高まります。先ほどのゴテゴテ彫像の印象も薄まって来てとてもいい感じです。

しかし、いざ最上部にのぼりつめると空っぽな空間しかありません。途方に暮れたのち、やや虚脱感に襲われながら洞窟をあとにすることになります。

いきなりそそり立つ独立丘の緊張感。洞窟のなかの先に何かがあるという高揚感。そしてクライマックスの位置にある空っぽ。洞窟をあとにした時に再びながめる独立丘の屹立。何かがあったはずなのに結局は核心を見ることができなかったという思い。これは日本の寺社によく見られる空間特性です。

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上の写真は独立丘の麓にあるヒンドゥー寺院です。中央部の屋根を高め中心軸を強調しています。よく目立つ二つの金色塔状建築ですが、その一方は中心軸上にあって、下部の屋根の空間の高め方に呼応する一方、他方は下屋の位置に正面を90度回転させ配置されています。矩形平面上でこの2建築はクロスする軸線を描くのですが、下屋位置にある金色建築と向き合う位置(短手のクロス軸上)には特に何もなく、キリスト教教会のような左右対称の充足したラテンクロスではない、欠落したクロス(空っぽを孕むクロス)を形作っています。

多神教は数々の神様からなる宗教であることは言うまでもないですが、それは何かひとつに絶対性を与えないことでもあります。かといって一つ一つが脆弱なわけでもなく、個々は強度ある存在でありながら、全体としては森羅万象が響き合うことが目指されているように思います。

クアラルンプールの北に唐突に立ち上がる独立丘。その麓とその中にあるヒンドゥーの聖地。そこに多神教の根のようなものを感じました。
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2016年08月15日

マレーシア雑感02-根元にあるものか。郊外のお墓。

こんにちは。渡辺菊眞です。
今回も前回に引き続きマレーシア雑感を御報告いたします。

今回はクアラルンプールから電車で一時間半の距離にあるセレンバンという都市での一コマ。

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セレンバンは遠い昔に海を渡って来た人々によってつくられた都市。その特色が今に息づくユニークな場所です。
今回はそんなユニークさに肉薄するものではなく、そこで見かけた中国系の人々のための一大墓地のお話です。セレンバンの西に流れる川をこえるとそこは丘。

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草花が咲き乱れる丘は空まで続いていきます。そこにポコポコとたつ墓石。川を挟み、その向こうにある場所。空とつながり、果ては他界へと通じるのでしょう。

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埋葬されている人々は中国系の方々。私たちと同じ東アジアの民です。

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山の彼方のさらにその彼方。そこに死者の霊がかえっていく風景。それは私たちの根源にある風景です。
マレーシアという遠い場所で、根っこに触れる風景に不意にであって、訳も無く泣きそうになりました。
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2016年08月14日

マレーシア雑感01ークアラルンプールのオモテウラ

こんにちは。渡辺菊眞です。前回で報告したように、先月末はクアランプールに1週間ほど滞在していました。
場所を問わず、どこかに滞在するとなると、どんなに短期でも、その場所を見てまわります。「人はいかに場所に生きうるのか」その共通の構造と差異を見る、というのが大義名分ですが、小さいころから見知らぬ場所をウロウロみてまわるのが好きなだけ、というのが本当のところです。というわけでクアラルンプールで見た風景についての所感を書き記したいと思います。

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クアラルンプールは東南アジアを代表する大都市のひとつです。超高層がビュンビュンと林立します。

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オモテ通りも数々の商業建築で彩られます。私はこの通りの一本ウラに面したホテルに滞在していました。

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ホテルの窓からの風景。大規模な商業建築のウラ手に中低層の建物が立ち並び、道に面してテントを並べた野外食堂の賑わいがあります。このあたりの食堂は終日、地元の人たちで賑わっており、地の活力を感じました。

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このウラ通りのすぐ近くのビルウラ。おびただしい数の室外機です。中低層建築のウラ側、ウラとして担う機能がそのままの形で表出します。

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次にちょっと離れたところの低層なオモテ通り。ここは有名な屋台ストリートなのですが、早朝なため、店じまい後の風景です。なかなかに趣のあるたたずまいです。

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そのウラ。情け容赦ないウラの風景です。室外機はもちろんのこと大きなゴミ箱が整然と並びます。

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ゴミ回収の車を簡単にそばによせて、とても迅速にゴミを回収可能です。ウラが担うべき機能が機械的空間を生み出しています。

どの都市も同じではありますが、キラキラしたオモテとそれを支えるウラ空間があります。オモテが存立するために機械と化したウラがあるとともに、オモテのひしめきから逃れたエアポケットのようなウラ空間もあります。

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そんなウラ空間に、均質化(どこにいっても同じような)した都市ではない、根元にある文化を垣間みることができます。都市は生き物のようにどんどん変容しますが、その都度できてくるウラに地の空間があらわれてくるのでしょう。そんな様態が魅力的であると改めて思うとともに、ウラ空間が全くなくなってしまうならば、それはキラキラした監獄でしかない、と思いました。

おまけ。

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ウラの室外機にインスピレーションを得た室外機ユニットホテル。メタボリズムポストモダンな作品。




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2016年08月13日

Architecture Asia Awards 2016 とFloating School version02

こんにちは。渡辺菊眞です。大変ご無沙汰してしまっております。前回の記事は2月でした。。
半年も前です。その間はというと、何もしていなかったわけではなく、ただ記事をあげられないだけでした。
そこで、このお盆を活用(?)して、この半年にあった出来事をアップしていこうと思います。まずはその第一弾。

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去る7月23日に、Architecture Asia Awards 2016の結果発表と表彰式がマレーシアの首都、クアラルンプールでありました。これはアジアの建築家によるアジアに建つ建築を対象とした、建築新人賞です。25作品のFinalistがクアラルンプールに赴きプレゼンをして、その数日後に結果発表がある、といった流れです。この度「タイの孤児院兼学校:虹の学校学舎天翔る方舟弐号ーFloating School version02」が、同賞のWinners(計9名がWinnersとなりました)を勝ち取りました。

「天翔る方舟ーSchool Floating in the Sky」は幾つもの国際賞をいただいた作品ではありますが、今回はVersino02での受賞であったことに大きな意味があります。「方舟」は2013年に竣工しましたが、上部の竹床や草屋根は永続的なものでなく、2年〜3年に一度は改修が必要です。Version02は、2016年3月に行った大改修の結果、力強く蘇った「新生方舟」なのです。改修を含めた全取り組みが評価されてのWinners獲得です。

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改修では、劣化した屋根材や床材をただ取り替えるのではなく、3年の月日を経て、開発された(片岡鉄男氏とガリアン族の大工さんたちによります)竹の新しい工法や、よりよい屋根材、そしてより根源的な空間構成への遡行、それらすべてが統合された果てのVersion upされた姿が「Floating School version02」です。今回はその改修風景を紹介いたします。

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傷んだ屋根材をとりはずします。この手の仕事は学校の子供たちにとってもお手の物。身軽に単管をよじのぼってヒョイヒョイと屋根材をはずしてくれます。

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屋根材はがしと並行して、単管の錆び止めを再塗装します。これは高知工科大学環境建築デザイン研究室メンバー(渡辺菊眞研究室)のお仕事。

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屋根はすっかりはがされ、時間の逆戻しを感じます。

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「方舟初号」の床材は竹を6分割した板材を敷き詰めていましたが、今回は丸太のまま敷き詰めます。この方が強度や耐久性があがります。

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乾季の日射は殺人的なので可能な限り迅速に屋根材を敷き詰めます。前回敷き詰めた「ヤーフェ」よりも丈夫で補修のしやすい「バイトン」を採用しています。

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竹は近隣から切り出します。小生も竹の切り出し現場に赴き、運びだしをしましたが、肩に4、5本の竹(幹に水がたまっていて超重たい)をかかえて800mほど歩かねばならず、5往復目になると肩に激痛が走りました(大工さんはヘッチャラなようでした)。

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改修をはじめてほぼ一週間で屋根は葺き終わり、

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殺人的日射から逃れて床を敷き詰めるとともに、階段に小さな小口の竹を敷き詰めます。この「小さい竹丸太」も以前の竹板に比べて耐久性の高い材料です。

このように書くと耐久性の高い材に変更しただけのように見えますが、核心はそこではありません。

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この学舎のメインコンセプトは上図のようなものです。「母なる大地」の延長として土嚢ドームが下部にあり、強烈に過ぎる「父なる太陽」から身をまもってくる大きな天蓋が上部に、そして空と地の間に浮かぶ水平な場が「人」のためにあります。この構成の純度を極限まで高めることが今回の空間変革の目標でした。そのため、初号にあった細々した意匠ははぎとり、純度の高い人間のための水平面を大屋根の下に浮かべました。

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10日あまりで改修を終え、新しい姿で蘇った方舟。その後、ふたたび教室として、さらには近隣の村の子供の遊び場として、活用されているようです。

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今回は一度目の大改修でしたが、これで終わりではありません。子供たちの場でありつづけながら、幾度も改修を重ねて生き続けていく建築として方舟は続いていきます。方舟は単なる建物でなく、豊かな未来に向かう道筋ーArchitecture as the way to a bright future であらんことを、切に願っていますし、そうあるために更新を続けたいと思います。

方舟だけでなく、宿舎棟も現地の片岡鉄男氏の指揮のもと見事に建ち上がって来ています。その話も近いうちにご紹介できたらと思います。
posted by 渡辺菊眞 at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | International contribution by architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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