高知はすっかり葉桜の季節となり、昨日なんかは久しぶりの超土砂降りの雨で、早くも夏の近づきを感じました。
3月前半は展示会「楽園 神母木山田島」の準備でおおわらわで、何とか無事に展示会開催にこぎつけました。そして、作品講評会(新居照和+ヴァサンティさん、魚谷繋礼さんにパネリストとして参加していただきました)当日に東北で大震災が発生。衝撃でした。
3月後半は金沢21世紀美術館に向かって、「Good House いい家」の解体作業。3月かかって制作したドームとインスタレーションが、およそ3時間で完全解体(その模様は「Dのひだまり日記」で紹介されています)。震災の衝撃と、「解体」という作業がどこかシンクロしてしまい、個人的には少しどんよりした思いでした。
3月末から4月にかけては、今後、建築はどうあるべきかということを改めて考え始めました。被災地復興に向けての「急務」という考えも当然あり、現在、急場で必要とされているものを迅速に支給できるような建築的支援もあるのですが、どうも、この大震災、そしてこれからの復興というものが、文明の転回点のように思われてしかたなく、一気呵成に何かをなすよりは、今後、地球にいかに住んでいくべきか、そしてそのためには建築や都市というものがどうあるべきかの方向性をしっかり決めないといけないと思いました(もちろん、被災地から遠方であるために急場の支援に向かう立場としては不適ということもありましたが、、)。
D研究所では、インドの震災復興をはじめ、インドネシア、アフリカ、中東、中南米のそれぞれで、そこの必要に応じた建築的支援をしてきました。そして、いろいろな場所で展開している風景の流れを見つめるたびに、その地域の問題を見ながらそれが、地球全体の問題でもあることを感じてきました。今回の東日本大震災発生により、その思いはより強くなっています。
ここしばらくえらく慌ただしかったのですが、これから改めて建築のあるべき姿(絶対的なひとつだけの道というものではなく、あるべき「もうひとつの道」)を提起していきたいと思います。もちろん実践も込みで。
また、展開に応じて報告いたします。D研究所はこれからより真摯に、「すぐこことはるかかなたをつなぐ」空間の構築を目指していきたいと思います。いまいる場所に憩いながら、そこを超える遠い時空に思いを馳せる、そんな場所が本当に必要なのでしょうから。
それでは、また。