早いものでもう4月も終わろうとしてます。現在、「水と土の芸術祭」にて「産泥神社」を建立するため、新潟市に来ています。高知をたったのは4月20日過ぎ、高知はすっかり桜が散って葉桜の季節に突入。一方、新潟に来ると桜が満開で、今年は二度も桜を楽しむことができました。
さて、いまから5月末にかけては、「産泥神社」建立に尽力します。かなりタイトなスケジュールではありますが、それゆえに日々、建立風景は大きく変化していきます。そこで、その日々の建立風景を完成まで日誌形式でお伝えしたいと思います。
まずはそのゼロ回目として、神社の鎮座地(敷地)について簡単にご紹介します。
敷地は信濃川河口にかかる柳都大橋の西詰め。そこにぽっかり空いた空地です。この橋はごく近年に建設されたもの。その前にここには「まち」がありました。大きな道路や大きな橋が架かる時、これはどこでも同じことですが、そこに在った「まち」の風景に巨大に異物が貫入して、「まち」をまっ二つに引き裂いてしまいます。ここでも町は南北に引き裂かれ、かつてあった生活道路も分断されてしまいました。そんな「まち」をかき消した橋の隙間が敷地なのです。
この橋は2本の高架橋からなり、この敷地はその隙間。まさに不意にあいたエアポケットのような場所です。橋の隙間は川の上で真っすぐ伸びて、新たな都市軸を生み出しています。
都市というものは常に更新を続けています。そこに折り重なった「変化の地層」は果てしなく、それなのに、日々は何事もないかのように続いていきます。昨日あったものがなくなってしまったのに、そこにあったものさえ思い返すことができないほどに。。。そしてその地層の根源にあるものですら、もう霞んで消え入りそうなのです。この都市、新潟でいうならば「水と土との飽くなき闘い」という根源層が霞んで薄れて、、。
そこで当方が思ったのは、都市変化の大きな瞬間(柳都大橋の建設)に、不意に現れる空隙に「かける」ことでした。緩慢な都市更新ではなく、劇的変化の狭間では、緩やかな日常感覚の連鎖が切れるであろう。そしてそんな場所ならば、日常の皮膜をぶち破って、その奥底に隠れて埋められて眠っていた古層の記憶が蘇るであろうと。
そんな思いが「産泥神社」建立のはじまりです。不意に空いた場所に一時、寄り添って、その中核にドロドロの空を孕む場所。ここから、忘れてしまった根源的な何かが蘇ることを切に願っています。この場所が全てのはじまりなのです。。
都市の隙間は真っすぐ伸びて対岸へ。神社で圧縮された空間は都市軸となって虚空へと消えていきます。