2012年09月01日

空隙から「余白」へ。

こんにちは。渡辺菊眞です。

早いものでもう9月。夏も明らかに終わりが近づき、秋の気配を感じます。季節の狭間にあるせいか、天気は毎日不安定。早く秋になりきって欲しいものです。

さて、先のブログで報告したように、現在、D研究所では幾つかのプロジェクトが同時進行しています。内容、場所ともまるで違うのですが、表現として共通のテーマを抱えています(というより、期せずしてそうなったというのが正確でしょうか)。結論から言うと「余白」をどうつくりあげるかということです。

01ubudorointhecityfb.jpg

「余白」の前にまず空隙の話。4月から6月末まで、産泥神社の制作をおこなってきました。これは都市の空隙を舞台にしたものでした。身近な場所にあるにも関わらず、ほとんど誰も気にとめないような場所。ここでいきなり建設が進んでいく事で、意識が空隙へ向い、「なんでもない」と思っていた日常の風景がゆらいでいく、そんな意図でつくりあげたものです。

次に「余白」。これは文字通りで言うと「表現されたものの残余にある空間」に過ぎません。ただ、ご存知のように我が国の、特に伝統芸術の世界では極めて重要視されてきた概念です。前面にある表現物以上に「余白」が重要で、そこから別次元の世界がにじみ出る(「宇宙が開かれる」など言われます)、ほどなのです。

実は小生、大学院時代に京都を舞台に「都市の「余白」」研究をしていた経歴があり、その意味では随分前から強く意識してきた概念ではあります。しかし、実際の設計の時には、何故かこの概念を意識的か無意識的かはわからないですが、これまで遠ざけてきました。

そんな「余白」なのですが、産泥神社以降に進めることになったプロジェクトで不意に浮上してきました。まずは今年の冬から建設がはじまる「虹の学校」。タイとミャンマーとの国境にある孤児のための学校です。大地から立ち上げる下階が土嚢建築、その上部に高床の軸組がのるという変則的な建築を提案しています。

unit01.jpg

このユニットが4棟集う時にマンダラをなします。D研究所が10年追求を続けてきた「泥曼荼羅」の手法ですが、それを今回も採用しています。ただ、今回に関してはマンダラが完成したときに、その中心に何もおきたくないと感じました。計画地がこれまでの地(インド、アフガニスタン、ヨルダン、ウガンダ)と比較して最も東アジアよりだったから、あるいはタイが熱心な仏教国だったからかもしれません。

2月に視察に行ったときから中心にモニュメンタルなものを据える気がしませんでした。なので4棟集う時には丸い空隙だけが建ちあらわれることを想い、その空隙で地と天がつながり、子供たちが想像力の羽根をはばたかせることを考えてきました。ちょうどそんなおりにD研究所メンバーの江崎貴洋氏によるロゴ案が全く同じ構想であったことに驚きました。彼とはともに視察にいきました。同じ何かをその時に感じたのかそれはわかりませんが、不思議な共時現象でした。

logo.jpg

現在構想がようやく固まりつつあり、今後はこれを基準によりいいものになるようつめていきます。

rain-mandala.jpg

masterplan.jpg

最後に来年の春から始動するプロジェクト。これはまだ具体的なことは言えませんが、やはり「余白」が表現のテーマとなっています。

so-zui.jpg

木架構が連続するトンネル的な空間を提示していますが、主空間はこれではありません。この外側にある空間=「余白」が主となり、そこから別な世界がにじみ出て来ることを計画しています。

「余白」というとゲシュタルト心理学の「地と図」のようなことだけに帰着しがちです。意識をどちらかに向ければ、それが図となり、他方が地となって後退するという、あれです。ただ、地と図の振動だけでは「余白」はやはり残余のままでとどまります。そこから宇宙が開かれるようなそんな「余白」であることを真摯に目指していきたいと思います。

 プロジェクトは進行に応じてまた報告いたします。今回はこの辺りで。。






posted by 渡辺菊眞 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | D | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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