2007年01月03日

かたちのしくみ考-「建築の構成」と「建築の空間」-後編

 前回は導入だけで終わってしまいましたが、今回はいよいよ本題に入ります。その前に題材となっている「高野N診療所」の概要をおさらいしたいと思います。


■「高野N診療所」の概要

1、医者家族の住宅付き診療所

2、1階が診療所で2階が住宅(垂直にゾーニング)

3、医者家族は住居部分にいても常に診療を意識し、その結果、常時診療へ向かう意識を保つか、それが嫌なら、人生を放棄して死ぬか、の二者択一を迫る空間

4、3の内容は、周辺の人々や、ここを来訪する患者には、気配として伝わるが、ダイレクトにはわからないようにする必要あり(気配だけ漂うからこそ、かえって気にかかることが重要)。

 さて、おさらいは以上です。では、上記4項目を満たしうる空間骨格(ほぼ構成だけで成り立つ空間)をまずは見ていきたいと思います。


 N-完成外観-.jpg

 まずは外観です。周囲の人は基本的にこの様相しか見ることができません。ここで内部の「異常」を示すサインは、
1、ほとんど開口部のない巨大な壁
2、壁上方から奇妙な角度で突き出す物見台の先端です。
サイン1によって、この建物が多層階(例えば、4階や5階)でないことがわかり、サイン2はこの物見台が何か特殊な装置であることを示します(他の要素は全て同じ直交グリッド方向で構成されているので)。

N-構成4-.jpgN-構成-.jpgN-構成6-.jpg

 次に内部の空間構成です。ここで患者に公開されるのは基本的には1階のみですが、1階上部の吹き抜けからは居間の様子を若干うかがうことができます。

 また、この診療所の「異常」の要となる、無茶苦茶な天井高(17.5m)の居間と階段、そしてその果てにある、奇妙な角度で伸びる物見台の様子がよくわかります。

 要するに、「高野N診療所」はこの外観と内部構成さえあれば、要求された機能や意図が建築化された、ということになるわけです。ところが、、、。

N-完成内観-.jpg

 これが実際に計画された、内観です。さっき見た内部構成にはなかった要素が散見されます。これは何故なんでしょうか?その意味を少しずつ確認していきましょう。

 まずは居間の吹き抜けに屹立する柱の存在に気付くでしょう。これにはどんな意図があるのでしょうか?

 N-段階5-.jpg

 この柱は1階の「待合い」まで突きささります。ですので「待合い」で診察を待つ患者は、吹き抜けを見上げるとこの柱が伸び上がり、遥か上部でトップライトに通じていることに気付きます。ここで患者は「待合い」空間の劇性を感じるとともに、この吹き抜け高さの異常さにも度胆を抜かれます。
そして、この4本の柱の影に「あの階段」はチラチラと見え隠れするのです。
要するに、この柱は患者の空間経験を劇的にするとともに、この診療所の住居部分の異常さがダイレクトに見えないように「仕掛けの核心」を少々隠蔽する働きをも担っています(良く観察すれば気付く患者は勿論いるでしょうが)。

 次に、計画断面を見て気付くのは居間の右側の壁がダブルになっていることです。周辺住民はこの施設の外観しかうかがうことができません。ですので、外側の壁に空いた3つの窓のみを見ることになります(全体外観写真を参照)。しかしながらこの3つの窓にはガラスが入っていません。このことによりこの壁の中になにがあるのか、想像が容易にはつかなくなってしまいます(普通の部屋の窓でガラスが入ってないことはありえないですから)。しかし何か普通でないことが中でおこっていることだけはわかるのです。この不安で無気味な印象を可能にするのが、このダブルの壁(内側の壁に開いた3つの窓にはガラスが嵌っています)というわけです。また、こうすることで居間にいる医者がみる室内風景と、外観から予想される室内風景にもズレが生じ、空間に不可思議さが付与されていくわけです。

 では次に移りましょう。

 N-段階3-穴-.jpg

 これは内部構成モデルを上から俯瞰したものですが、階段最上部、すなわち物見台へ向かう踊り場の下部に正方形の深い吹き抜けがあるのが見えます。これはなんでしょうか?

N-完成俯瞰-.jpg

 これは完成形の屋根俯瞰ですが、この右下の丸い穴が先程の正方形吹き抜け上部のトップライトです。さて、ここで一枚目の外観全景の写真を再度見て欲しいのですが、、、。

N-完成外観-.jpg

 正面壁の右下に小さな入り口が見えると思います。実はこの入り口を入るとそこにこの正方形吹き抜けがあるのです。そして遥か上部のトップライト
と、その少し下に、踊り場へと通じる開口の存在をうかがうことができるのです。

 何度も書いたように、周辺住民はこの施設の外観しか基本的には見ることができません。しかし、この吹き抜けだけは、ひっそりと公開されているのです。他人の家の入り口なんかに入るのは、いくらそこが開いてあってもはばかれるので、普通はこの吹き抜けの存在にはなかなか気付かないとは思います。ただ、何かのはずみにここを知ってしまう可能性はあるのです。たとえば近所の子供がここで隠れんぼをしたりなんかして、、、。また医者がここまで階段を上ってきて「こと(=自殺)」に及ぶときに、この吹き抜けを見下ろすことになります。唯一の外との連絡が遥か下に見えます。井戸底を覗くように、、。ここにきて医者の不安はさらに増幅されていくのです。

 さてさて、まだ細かいことはいっぱいありますが、取りあえずここらへんまででじゅうぶんかと思います。

 最初にかかげた施設概要を満たすだけなら、最初に示した外観と内部構成だけでもそれを充足させることはできます。しかし建築は、さまざまな立場やいろんな気分の人間たちが具体的な空間経験をすることで立ちあらわれてくるものであることに注意せねばなりません。それを留意したうえで建築を作るならば、構成のみの空間では全くの不十分なのです。

 例えば、患者としての空間経験を魅力あるようにする装置でありながら、内部異常を隠すための装置でもあるという、多重の意味を担った装置の付加が必要となってくるわけです。こういった装置が骨だけとも言える「構成むきだしの素形」にうまく絡み付くことでようやく経験に耐える建築が成立するのです。

 20世紀後半に入り、コンセプチャルアートが全盛を極め、その影響は建築の世界にもいまだ濃厚に漂っています。要するにコンセプトが明解にわかるように「構成だけしかない空間」を称揚するわけです。こうなると確かにシャープっぽい感じの空間が形成されるかもしれませんが、こういう建築は意図が明確すぎて、生活という生の時間に耐え続けることはおそらく難しいでしょう。急速に風化していくさまが想像できます。

 建築においては、長らく、その設計図面が極秘で、設計のからくりはブラックボックスとされてきました。目の前にあらわれる素敵で不思議な空間は謎めいたままで、その「からくり」は秘されてきたのです。そしてそんな「からくり」を編み出すプロが建築家であったわけです。

 そのような時代に戻りましょう、っていう気はさらさらありませんが、ひとついえるのは明らかに建築家の「かたち」をつくる技術は落ちていってしまっているでしょう。アイデアコンペで、シャープなコンセプトをシャープなデザインで見せることにばかり夢中になってたりしたら、もう絶望的です。

 時代遅れ(実はそんなことまったく思ってないですが)、かもしれませんが、秘密にできるほどの技術、我が研究所はそんな技術を研究開発しようと不遜ながらに考えております。少なくとも僕は、コンセプトと形態の対応が明解なコルビュジェのサヴォア邸なんかよりも、後期コルビュジェのロンシャンやラトゥーレットの方が好きな輩ですので。
posted by 渡辺菊眞 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | Expeliments of Design System | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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