日本建築(ここでは寺社に限ることにします)は、基本的に木造であり、その肌合いの優しさや、周辺環境(自然風景)への親和性が、とかく情緒を発生させてしまうため、それに対する建築家の言説も例えば以下のようなものが多いのです。
「神域は最小限の簡素なものであり、巨大な杉の老木に囲まれて、薄暗く木漏れ日のさす森のなかにそっと立っている。自然と対立するというよりは、それに包まれて-」
嗚呼、寒気がしてしまいます。そんなようなことを感じるのはもちろん素晴らしい感受性ではありますが、エッセイストでもない建築家が建築家として発言するならば、これはないでしょう。こういうのは、「思ひ出日記帳」にそっとしたためて、鍵付きの引き出しの中にしっかり保管しておいて欲しいものです。
もちろん、こんな言説ばかりではないですが、とかく単建築の様式のお話であったり、木の架構技術だったりで、少なくとも僕には全く面白くありません。そして何よりも単品の日本建築の平面図、立面図、断面図、写真ともに何ともカビ臭く、全く興味がわかないのです。にも関わらず若くして日本建築が好きな方々は、その渋くて気品あるよき趣味を誇るものです。もう、うんざり。
こんな状態が長らく続いたのですが、個人的に不可避な状況が訪れて、日本建築を探訪せざるをえなくなったのでした。ほとんど期待もせず、探訪を始めたのですが、、、。なんと、とっても面白いじゃないか、日本建築!!もちろん、全てが面白いわけではありません。ただ、ある観点から見ると、そして、その観点から解析を始めるととても面白いのです。
今回は、そのような日本建築の見方、そしてその空間の解析の仕方のお話をしたいと思います。まずは概論ということで、次回に具体例を示してこの見方の魅力と効力を示したいと思います。
先ほど、述べたように日本建築は、単品の建築についてあれこれ述べられることが多いのですが、寺院、神社において、その境内が単一の建築のみで成立しているなんてことはほとんどありません。古代寺院の伽藍は勿論、そうでなくとも大概複数の建築が配置されて、一つの寺院ないし神社空間が形成されているのです。
そして、その全体空間や、全体の中での単一空間、単一空間どうしの関係など、それらの在り方こそが極めて面白いのです。日本建築はそれらの在り方を構築することにかけてはとんでもない魅力を発揮します。
そんなことを言われてもピンと来ないと思いますので、これから、そのことを図解しながら説明してみましょう。

この枠内にある■を単品の日本建築だと思ってください。ですので上には6つの単品日本建築があるわけです。これらはまだ配置されてない状態にあると思ってください。

これを例えば上のように配置してみます。ひとつの軸線上にそって一列に並んでいます。「線形空間」とでも言える全体型です。

次にこんな並べ方。クロスする軸線上に建物を配置してます。縦軸を対称軸とした「対称空間」です。

さらにこんな並べ方。閉じたリング上に建物が配置されてます。「円環空間」とでも呼びましょうか。
さて、これでわかったかと思いますが、同じ種類、同じ数の単品建築でも、その配置の仕方で、それが形成する全体空間はまるで違ったものとなるのです。それぞれの配置形式を取る寺院/神社空間へ探訪した情景を思い浮かべてみてください。互いに全く違った経験となるはずです。単品の建築のみにこだわっていては見えない世界が広がっているわけです。しかも単品建築同士の差異なんかとは比べようがないほどに、配置形式の違いが生み出す空間的差異は大きいのです。そしておそらく日本建築空間は何よりもそのことを強く意識して形成されているのではないかと思えるのです。
ただ、これだと話が大雑把すぎますのでもう少し丁寧に見ていきたいと思います。

先程と同じ、単品建築が6つあります。そのうち、あなたのお目当ての建築がAであるとしましょう。そしてこのAに着目してください。

これは上記の「対称空間」ですが、お目当てのAが取る位置によって、そのAを訪れその空間を経験する様がまるで違ったものとなるのがわかると思います。また、Aがこの全体の中で最も主要な建築だとすると、右側のような外れた位置にある場合は全体空間が奇異に映じるでしょう。このように、同じ配置形式でもそこにおける単品建築のポジションによって全体空間の在り方が大きく変わってくるわけです。さて次の段階に移りましょう。

これは「線形空間」です。配置形式としては最も単純なものと言えるでしょう。しかし、ちょっとしたことでこの配置形式も不思議な空間となりえます。
図中の▲印に注目してください。これは単品建築の正面の向きを表しています。左側では全ての建築が下側を向いていることになり、全体で一つの正面を有する空間となってます。しかし右側を見て下さい。Aだけが左を向いています。これだけで全体がひどく歪んだ空間に映じるはずです。そして考えます。何故Aだけがこの向きなのか?Aだけ違う信仰体系にのっているのか?それとも左隣の建築に反応しているのか?などなど。このようにして、一見、単純な「線形空間」に思えたものが、何か別の世界のことを孕んだ空間へと化していき、その風景は深まっていくのです。
どうでしょう?このように見てくると単品だけに着目した日本建築の見方や、空間の骨格を無私して、情緒だけに溺れた個人的耽美的感慨の吐露のつまらなさが露呈しはしないでしょうか?ただし、いま提示した見方がどれだけの魅力を有するのかは、今回の説明だけでは不十分だと承知しております。
というわけで、次回は有名な単品日本建築をひとつ取り上げ、それを題材に単品から全体へ、そして全体から単品へとフィードバックしながら、この見方によって日本建築の空間的魅力をあぶり出していきたいと思います。
乞う御期待、です。