今回からヨルダン視察に関する報告をさせていただきたいと思います。
視察は2007年2月15日から19日の5日間で行いました。ですので1日ごとの視察内容を記事にして報告できたらと考えています。よろしくお願いします。
視察初日2007年2月15日
関西空港からドバイ経由でアンマンに到着。日本との時差は7時間。しかし、時差にとまどう間もなく本日から視察は開始である。なんせ5日間しかない強行軍なので。
とりあえず、余計な荷物を置きに、まずはホテルに向かう。長旅でぼんやりした頭に飛び込む車窓からのアンマン都市風景。近年のアジアの主要大都市の風景には、ほとんど地域性を感じることはない。特にいま高度経済成長期のただ中にある都市風景は、本当に均質化している。モダンをいきなり通りこして変に華やかなだけのポストモダンな市街風景。実はモダンを経ないポストモダンっていうのは何とも仕方ない代物になってしまうんだが(「ポストな」意味がわかんないから、単に何でもありの「ポスト」を装飾に託しただけの看板建築になっちゃうのだ)。

ともあれ、荷物を置いて、早速視察に向かう。本日の主目的は、ヨルダン伝統的建築技術を継承・採用しながら、建築制作活動を展開させている建築家エクリマ氏と会談することである。もちろん、彼が設計した建築作品も見せていただくことになる。
実は今回の視察を要請いただいた、NICCO(社団法人 日本国際民間協力会)のパイロットファーム内の研修施設を設計したのが、このエクリマ氏なのである。とういことでパイロットファームのある南シューナへ向かう。
南シューナは荒漠とした土地が広がる田舎なのだが、車窓からいくら見渡しても、いわゆる土着的な建築は見当たらない。そもそも今回の視察前にヨルダン土着建築の写真等を見る機会が持てず、その具体的なイメージが掴めずにいたままだったので、伝統的建築を知らずして、その継承者(ということらしい)エクリマ氏の建築を見てしまうことになってしまい、何とも居心地の悪い気持ちに襲われてしまう。
そうこうしているうちに、パイロットファームに到着。エクリマ氏は先にファーム入りしていた。彼と通訳の方に案内され、研修施設を案内していただく。


尖ったドームにヴォ−ルト(クロスヴォ−ルト)屋根、そして石造の建築。
これらは、イスラム建築のメインボキャブラリーであり、伝統的な様式であることは容易に想像はつく。通訳を介してエクリマ氏はこの建築が、伝統的建築技術の集積であること、そして環境的建築としても極めてすぐれた工夫がなされていることを力説された。環境的とは、
1、石と泥による厚い壁体によるすぐれた断熱効果。
2、丸屋根の部分的温度差から誘導される内部空気の対流。
3、風向きと、気化熱による冷却を考慮いた通風システム。
これらの項目を満たしているということだ。
実際、研修施設を目にして、上記項目が実現されているのはわかるし、これが伝統様式に起因した建築であることも了解できた。ただ、これのもととなるのが、具体的にはどのような建築物であるかを問うても、エクリマ氏ははぐらかしてしまい、「独学でつみあげたもの」という何とも「しんどい」回答しか得られずじまいであった。そして現地に到達しても全く目にすることができない土着の石造あるいは日干煉瓦造の建築。
ここであることが脳裏をよぎった。

これがエクリマ氏設計の研修施設の平面図である。

そして、これはヨルダンの砂漠に立地するカスルアムラ宮殿の写真と平面図である。両者の部分空間結合方式や空間構成が極めてよく似ている。もちろんここで、エクリマ氏がかの著名なモニュメントから影響を受けた受けないの話しをしたいわけではない。そうではなく、ヨルダンの土着的家屋なるものは実は不在で、遥か昔(上記宮殿は8世紀のもの)のモニュメントを頼りに、それこそ「独学で」その技術を現代に適用すべきもの、として復興してるのでなないかという疑念がわいてしまったのである。そう、建築家の意志と創意のなかにしか「ヨルダン伝統的建築」なんてものはないのではないかと思ってしまったのだ。
南シューナに来る途中にみかけた、夥しい数のボックス型のコンクリ−ト住宅がひしめく風景。同行したヨルダン人スタッフが、このボックスこそが未来のヨルダン伝統様式になるんじゃないかと漏らしていたのが、変に重たくリフレインする。

ヨルダン伝統的建築(おそらく住居としての土着様式)と、僕が2001年からてがけ始めた土嚢の建築。これを組み合わせて、新たに研修施設を建てるのを見据えた今回の視察。その一方が、実体を持たないものなのだとしたら、、。そんな不安と、黄昏れの死海がシンクロした視察初日だった。





