今日の高知は雨降りでお昼過ぎには近所の桜は全て散ってしまっていました。春の雨降りも、なにかをボンヤリおもって過ごす日にとっては、とてもいい時間です。
さて、今回は先月末に行った産泥神社の解体のお話です。新潟には3月24日に入りました。昨年4月に建設をはじめたので、この地に産泥神社は1年間在り続けたことになります。
今回の解体の前に当地を訪れたのは10月13日の「産泥談義」以来。この日は奇麗な秋空でした。
舞踏家の堀川久子さんがこの場所を踊り、
その後、本殿内部で小生のトークを行いました。7月に建物は完成しましたが、この秋をもって、ようやく完成したんだと感じた瞬間でした。
その後は、12月のクロージングにもうかがうことができず、とうとう解体日となってしまったわけです。正直、愛着のある建物をただバラすだけの作業。体調を崩していたこともあって、小生も所員の片岡も、さらに手伝いにきてくれた渡辺研究室の学生2名も気が重たい状態でした。
しかし、解体当日、産泥神社に関わりのある、思い出深い方たちが次々と現場に到着。何だか言葉にならない身体の奥に響く感動につつまれました。それもあって、建築の時に勝るとも劣らぬ盛り上がりを見せました。本当にうれしい時空に包まれたのです。以下は解体の模様です。
まずは、外皮の芝と波板をはぎます。久しぶりに土嚢そのものに戻った産泥神社です。この後はとうとう土嚢ブロックを上から解体していきます。
解体が進むに従って、高かった空は低い位置に降りてきて、その大きさを広げていきます。空は大きな空へと少しずつ戻っていきます。
解体して土嚢から取り出した泥の固まり。堀川さん曰く「何か巨大な生き物の糞」だとのこと。確かにそんな感じです。
解体はどんどん進んでいき、時計を逆回しにしたような風景が展開していきます。
けれども、単なる逆回しではなく、建設時には見られなかった新たな空間もあらわれたりしました。
例えば、こんな空間。本殿の土嚢がどんどんなくなり、半円形の場所になってしまってますが、こんな状態は建設中には見られません。不意に表れた劇場空間。何だか居心地がよく、楽しい時間を過ごしました。
そんな劇場空間もどんどんなくなって、とうとうこんな状態に。
そして、最期の土嚢ブロックをトラックに投げ込みます。
もともと空地だった場所はふたたび、ただの空地に戻ってしまいました。
10月に訪れた時に産泥神社は完成したと思っていました。でもそうではなかったことに気がつきました。思い出を共有してくださった方々が集い、神社を壊していく。その風景はある種の祭礼のようでした。
一時、此処に在った異物はいつしかなくなり、柳都大橋の隙間はまたポッカリ空いた空地に。でも、何か、いままでない、面影としてかすかな記憶として、この新潟の地に残ってくれるのではないかと信じています。
この空間と、時間と、ここで想いを重ねた方々と。本当にありがとうございました。
そして、最期に。さようなら、産泥神社。