4月19日に高知を発ち、奈良で準備をして、20日に金沢入り。 21日から金沢21世紀美術館にて「双隧の間」の製作を行い、26日に内覧会、27日にオープン+アーティストトークと、とても目まぐるしい時間を過ごしてきましたが、何とかそれらも無事終えることができました。金沢は晴天かと思えばいきなり暗雲立ちこめ、落雷と凄まじい雨、その後、奇麗な晴天に戻ったかと思えば、また!といった感じで北陸ならではの天候でした。
さて、今回は製作した「双隧の間」をご紹介いたします。

これは「内臓感覚」展の出展作品です。普段忘れがちな、人間のうちにある太古の声に再び耳を傾けようという意図の展示会です。
本来、建築が宿命的に持つ「重さ」と「不透明」さ。現在建築はそれを徹底的に忌避し、軽さ、つながり、透過性を盲目的に追求してきました。ガラスの向こうにある重たい、不透過な異物。まずはそれを目指しました。

この、拒絶の壁の中はというと、

美術館の天井ギリギリまでに達する鋭角なトンネルが口を開けます。

朱のトンネルは伏見稲荷の千本鳥居をどこか彷彿とさせます。

やがて、曲がり角へと至るとそこに空いた横穴には、丸い壁のある、白い空間。長新太氏の絵本リーディングスペースです。

いざ、ここに入ると拒絶の壁も朱のトンネルも、全てが後退して、絵本そのものと向き合い、その中の世界へ旅立てる空間へと変転します。

折れ曲がった先のもうひとつのトンネルを抜けて

出て来て、振り返ると、

また、馴染めない異物が重たいままに、そこに在るだけの状態へと戻ります。
外側から内へ向けて、ガラスの表皮、黒くて重たい拒絶の壁、朱のトンネル、絵本のある異界(秘密の庭)という、3重入れ子の空間となっています。
「トンネルの横穴に落ちると、そこは」これは長新太氏の絵本スペースに願った思い。
「脳天気な平穏と享楽と雑然のなかで忘れ去られた、建築的宿命としての重さ」これには現在建築の集団感染症的「軽さ」に対する執拗な忌避があります。
いつも何か大切なものを忘れていて、天変地異が来ると、それを思い出し、一時、悲しみと喚きを共有すると、また忘れる。そんな人間の性に楔を打ち込むのが、本来の建築の役目ではなかったかと、今回の製作を通じて改めて感じました。
内臓感覚展は表現分野、アプローチもさまざまな13の作品がまさに内臓に迫って来るような展示会です。
内臓に迫りすぎて、体調を少し崩してしまいました。いまいちど内なる声に耳を澄ませたいと思います。
その声に導かれながら、「すぐこことはるかかなたをつなぐ」場所の構築という大きなテーマに向けて、改めて進みだしていきたいと思います。