ここ数日は最早、春といっても言い過ぎではないポカポカ陽気。
でも、また寒さがもどってくるようです。
冬が好きな小生としては、なんだかホッとしています。

さて、先日、渡辺研究室の院生、城田くんと鏡川沿いの聖所(祠や神社)調査に同行しました。
彼の研究題目は「水路に寄り添う聖所、葬地の空間的特質」。
この題目から予想できるように、彼の本当のフィールドは水路、
具体的には物部川から引かれた運河、船入川水系です。
しかし、この水路脇の祠や墓地、その配置はかなり複雑な様態で、
この配置の特質を読み解くのは容易ではありません。
水路は明らかな人工空間。
しかし、何故か、ここに聖なる兆しを見いだして数多くの祠や神社が寄り添います。
この聖なる兆は、おそらく、その連想の源である河川にもとめられるのではないか?
そういう意図でまずは河川脇の祠を調査することとなったのです。
調査してわかったのですが、鏡川沿いの神社、祠の配置はとても明快。
都市部のそれは橋のたもとに、川の流れの向きを向いて配置されるものがほとんど。
都市部を離れ、農村部に以降すると、橋のたもとであることは変わらないものの、
今度は河川の流れに直交方向を祠(お地蔵さん)は向きます。
この明快さを前にして、水路に寄り添う祠や葬送地の配置の複雑さが、ますまず謎めいてきました。
しかし、その謎めきに、逆により深い興味がわき、
考察をどんどん進めるためにも多様な調査を重ねたいと感じた次第です。

この日はよく晴れた日でしたが、風が肌寒い冬の一日でした。しかし、ある祠の前には黄色い小さな花が咲き乱れ、このスポットだけが春であるかのような不思議な風景がありました。
その他、江戸末期に河川氾濫をしずめるために人柱になった少女のお話など、川と人をめぐる、宿命的な哀しみの話などを知り、何ともいえない感覚に襲われたりもしました。

この銀杏の下に、人柱になった娘と、その母親を祀る地蔵があります。
命の源泉たる水を運ぶ川、そして人の命を奪いもする川。そんな場所に寄せてある聖所や葬送の場所。その構造を読み解くことは、いま、忘れ去られつつある、根源的な感覚を再び思い返すために、重要であることを、院生の城田くんともども再認識しました。
この水路調査はじめ、研究室の調査風景などはおりに触れた報告したいと思います。