場所を問わず、どこかに滞在するとなると、どんなに短期でも、その場所を見てまわります。「人はいかに場所に生きうるのか」その共通の構造と差異を見る、というのが大義名分ですが、小さいころから見知らぬ場所をウロウロみてまわるのが好きなだけ、というのが本当のところです。というわけでクアラルンプールで見た風景についての所感を書き記したいと思います。

クアラルンプールは東南アジアを代表する大都市のひとつです。超高層がビュンビュンと林立します。

オモテ通りも数々の商業建築で彩られます。私はこの通りの一本ウラに面したホテルに滞在していました。

ホテルの窓からの風景。大規模な商業建築のウラ手に中低層の建物が立ち並び、道に面してテントを並べた野外食堂の賑わいがあります。このあたりの食堂は終日、地元の人たちで賑わっており、地の活力を感じました。

このウラ通りのすぐ近くのビルウラ。おびただしい数の室外機です。中低層建築のウラ側、ウラとして担う機能がそのままの形で表出します。

次にちょっと離れたところの低層なオモテ通り。ここは有名な屋台ストリートなのですが、早朝なため、店じまい後の風景です。なかなかに趣のあるたたずまいです。

そのウラ。情け容赦ないウラの風景です。室外機はもちろんのこと大きなゴミ箱が整然と並びます。

ゴミ回収の車を簡単にそばによせて、とても迅速にゴミを回収可能です。ウラが担うべき機能が機械的空間を生み出しています。
どの都市も同じではありますが、キラキラしたオモテとそれを支えるウラ空間があります。オモテが存立するために機械と化したウラがあるとともに、オモテのひしめきから逃れたエアポケットのようなウラ空間もあります。

そんなウラ空間に、均質化(どこにいっても同じような)した都市ではない、根元にある文化を垣間みることができます。都市は生き物のようにどんどん変容しますが、その都度できてくるウラに地の空間があらわれてくるのでしょう。そんな様態が魅力的であると改めて思うとともに、ウラ空間が全くなくなってしまうならば、それはキラキラした監獄でしかない、と思いました。
おまけ。

ウラの室外機にインスピレーションを得た室外機ユニットホテル。メタボリズムポストモダンな作品。