7月に凍結してから、8月が終わりもう9月。8月は解凍期間だった感じになってしまいました。
解凍するってことはお肉を考えたらわかるように、いまからそれをつかって料理するってことで。そう。解凍してほっといたら単にお肉腐ってしまいますから。準備期間は終了で本格的活動に突入していきたいと考えています。今日はそんな本格的始動の方向性に関して少し。
いま、僕を中心に、D研究所では、石造+土嚢建築の「ヨルダン計画」と、土嚢によるエコ集落モデルである「ウガンダ計画」(詳細はまだいえませんが)に取り組んでいます。

そう。ともに日本から遠く離れた海外での仕事です。当然、それぞれの国がおかれた状況や、抱えている問題、そしてその地域が育んで来た文化(造形的特質を含めて)等、すべて考慮しつつ、計画を進めていくわけです。とても遠い国からの使者が。
それが問題であるとは思いませんが、そうなったときにやはり問われることがあると思います。というより、自分で問うてるのですが。
「お前は何ものなのか」と。
こういった海外での仕事に取り組む前から僕自身は日本建築の空間特質の研究に取り組んで来ました。外部を知らないものが自国のことに言及するとトートロジー(あるいは自己撞着)に陥る危険があると
はよく言われますし、言われ続けてきました。
それはそうなんだろうなと思いつつ、ただ、明治時代から西洋文明を受け入れて、100年過ぎ。現在の日本においては西洋に対して構える必要もなくなったし、またそのおかげで自国に対して盲目的になることもなくなったと僕は思ってます。無理に西洋的思考を「導入」せずともそういった思考法がもう、地の思考法と同様に「我がもの」となってしまってますから。
なので自国の建築等に対して言及するのも、自己撞着することなく、かなり「ひいて」見ることが可能になってると思っています。
ただ、実際に海外の仕事に取り組み、そして現地に赴く回数が増えるにつれて、やはり、自らが、自らの地域の建築をどのように捉えて、それゆえにどのようなスタンスや方法で「建築を考え、構築して」いるのかを明示する必要があると強く感じるようになりました。
それは、他国でそれを実際に問われるからではありません。それどころかむしろ、そんなことは問われないことが多く、日本がもってる「テクノロジー」のみ(例えば耐震技術など)を要求されることの方が多いのです。逆にそれだからこそ、「自分の地域の建築とは何か(そんなのは結局ないという解答も含めて)」を明示したいと強く感じるのです。いわゆる「テクノロジー」のみで済んでしまう問題なら
早晩、不要な存在となりますから。
なので少なくともD研究所は、そして僕は自国の「「かたち」を構成する「テクノロジー」」そして、そのようなテクノロジーを生み出しうる思想を自分なりに明らかにして、それを携えて海外へと出向きたいと思うとともに、彼の地の「「かたち」を構成する「テクノロジー」」も知りたいと思っています。それらが渦巻くことで、こそ新たな「テクノロジー」が生まれ、しかも、それをお互い共有できるでしょうから。
さて、長くなりましたが、というわけで、今後は、この「Dの扉から」では、海外の2大計画の報告と、それと同時に大詰めを迎えている「日本建築の空間構成」に関する考察の、3つを骨にしつつ、御報告したいと考えています。
そのなかで「かたち」をつくることの普遍性と、特殊性、そして、そこから何を生み出すことが可能かを提示できるのではないかと考えています。おそらく面白い報告ができます。御期待ください。
Dの赤い所長 渡辺菊眞
