2019年01月01日

原点回帰の2019年。ゼロからふたたび。

あけましておめでとうございます。渡辺菊眞です。

今年2019年は亥年。私は亥年生まれ。ということで年男です。

D研究所が発足したのは2007年1月1日。やはり亥年でした。
当時は単なる任意団体であり、一級建築士事務所になったのはその1年後です。

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いずれにしても発足から12年がたったわけです。
昨年はさまざまな設計業務が重なり、いろいろやりがいがあると思いつつ、その一方で忙殺され、根元が見えにくくなるとい
う反省の多い年でもありました。このまま進んでもロクでもないと直観した次第です。

そこで、亥年のはじまりを機に、改めてD研究所は原点回帰したいと思います。ゼロからの再開です。
しかし、この12年間がゼロというわけではありません。蓄積をエネルギーに変えてゼロから走りだします。

D研究所は、ワクワクするなら絶対やる。逆に心に響かないことはしない。というのが発足当初からの基本姿勢です。
これはただのわがままではなく、一見可能性がないように見えることも、ワクワクしうる道筋へと展開させることが
基本となります。

今年はすべてワクワクし、内的環境に響くような建築をつくりあげたいと誓っております。

ゼロから始動するD研究所をこれからもよろしくお願いいたします。

D環境造形システム研究所 渡辺菊眞 高橋俊也 片岡鉄男 三島宏太 城田和典

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追伸、D研究所=宙地の間から拝んだ初日の出です。

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2018年12月31日

2年間凍結してましたが、解凍開始します。

こんにちは。渡辺菊眞です。
大変ご無沙汰してしまっております。何とこれ以前の投稿は2016年の大晦日。まるまる2年間の凍結でした。

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D研究所(D環境造形システム研究所)の活動はもちろん、活発におこなっており、凍結していたわけではございません。
ブログをかけずじまいだったのです。特に理由はないのですが。。

さて、そろそろ凍結は終わりにして、本日、18年の大晦日にまずは解凍し、しっかりと再開宣言したく思います。

今年はとかく忙しく、土日は設計業務のかきいれ時として。それ以外は大学での活動と設計業務を並行させていました。
例年にない忙しさで、その一方で根元にあるべきことが少しずつズレたりみえにくくなってしまったという反省があります。

現在は奈良の自邸「宙地の間 日時計のあるPassive House」に居ます。ここはD研究所所在地でもあります。
いまいちどここで根本を見つめ直し、2019年から先に進みたいと思います。

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太陽の運行が都の計画に組み込まれている大和の地でふたたび。これからのD研究所は根元を固めつつ新しいステージへと歩を進めていきます。

というわけで、凍結終了。解凍開始宣言でした。
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2016年08月29日

岩根沢三山神社の二重性

こんにちは。渡辺菊眞です。
今回も庄内来訪時にまわった建築について記します。岩根沢三山神社です。

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高台にある社殿。その前に石段、門が続き、その正面に街路が真っすぐ走ります。
街路は参道と考えられ、街路、門、石段、社殿が直列します。

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社殿正面は入母屋屋根の突出部を持ち、軒唐破風でさらに正面性を高めています。

しかし、この社殿部分は建物全体でいうと左端にあります。

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というのも、この建築は正面向かって左から社殿、客殿、庫裏が横並びに連結し、その上部に寄せ棟の大屋根を浮かべた長大な建築だからです。

この社殿内部ですが、

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神座があるとはいえ、平板な空間で、参道から一直線に引っ張って来た軸線上の構成を受け止めるほどの強度を感じません。入母屋の突出部あたりが意匠を凝らしたピークとなり、内部はなんてことない空間がただ、在るだけです。

社殿の隣は客殿。

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だだっ広い畳敷の空間が漠然と広がります。この客殿の左端に入り口が開きます。

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社殿前のそれと違って極めて簡素な入り口です。
この左奥が庫裏です。

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写真では伝わりにくいですが、野太い八角注が幾つか屹立する、黒々とした野性的(?)空間です。社殿内部の白々さと好対照な、力が漲る場所です。

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その上部には天井を張らず、無数の梁が暗闇を縦横に飛び回ります。東大寺南大門を見上げた時と同じような衝撃を感じる空間です。

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庫裏は日常的空間のなかでも、その日常性は最たるものですから、外部しつらえも必要最小限の皮膜で覆われています。開口らしき箇所もポリカーボネートで処理するほどの、どーでもよさです。

さて、この長大な大屋根建築ですが、その左端に神殿、右端に庫裏、中央に客殿ということで、左端から右端に向けて、聖域から日常の場をつなげています。しかし、庫裏の野太い柱、黒々とした中を疾駆する無数の梁、そこに漲る強い力を見る時、これがただの庫裏なんかではなく、その土地の力が雄々しく立ち上がる原初の空間性を感じます。神殿とは違ったもうひとつの「聖域」です。

客殿の空っぽな空間を中央におき、その左右に形式的に整えられた聖域と、土俗的な原初の聖域を据える、二重聖域を天秤にのせたような建築に思われます。

先の記事で、大きな屋根は「洞窟を漆黒の闇に封じ込めたもの」と記しましたが、岩根沢三山神社では、その漆黒を建築左端に並べた様態です。

元来は修験道(神仏習合が激しい)寺院だった、この神社、その習合は神仏ということにとどまらず、土俗的な大地性をも習合させながら、それらすべてを大きな屋根の下に包含する建築であったわけです。その大らかで逞しい姿に、何か力をもらったような気がしました。
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2016年08月26日

兜造りからー二次原型に思うこと。洞窟の封じ込めと切開、そして近代へー

こんにちは。渡辺菊眞です。
先の記事にあったように、東北は庄内地方に行ってまいりました。「親子で作る太陽の家」の講師をつとめることが主目的だったわけですが、同時に、その地にある建築を見て回りたいという思いも強く、自転車であちこちみてまわりました。

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鶴岡のとある博物館に移築された兜造りの民家。もともとは朝日村の田麦俣に建つものです。2002年に井山武司さん主宰の「太陽建築研究所」に住み込んでいた時期に、車で山形市に行く途中、井山さんに紹介していただきました。山間に幾棟かが屹立する姿に、ただただ衝撃を受け、「こんな格好いい民家があるんだ」と素朴に感動したことを記憶しています。しかし、それと同時に「こんな複雑な形状の民家がいきなり立ち上がるものなのか?」という疑問を持ち続けていました。ある環境下におかれた時、その応答形式として形ができる民家において、これは複雑過ぎると感じた次第です。ただ、こんなのは少し調べたら、その成立がわかるものなのに、何かと不勉強なゆえに、何も調べずに今日までほったらかしにしてました。

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移築されたこの建築はいまは展示空間となっていますが、その中に庄内地方に典型的な民家模型がありました。大きな寄せ棟屋根の建築です。兜造りは、明治期になって出羽三山参詣が下火になった際に、蚕を飼うために、この大きな寄せ棟屋根の妻側を切り取って、採光通風の窓を設けて成立したとのこと。要するに原型は寄せ棟屋根、社会状況の大変換にともなって妻側ぶち切りで、兜造りになったわけです。その意味で兜造りは「二次原型」とでも呼べると思います。

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上の写真のアングルだと寄せ棟時代の風情を感じることができます。

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切開されて蚕の空間となった3階の見上げ。光が入るとはいえ黒々とした空間です。。これを見つめているうちにいろいろ考えました。

原型たる寄せ棟屋根は、いうならば閉じ込められた漆黒の空間です。漆黒の空間の中には大蛇のようにうねりながら疾駆する梁や桁があるわけです。こういう屋根裏空間を稀に見る機会がある時、そこに縦穴住居のような大地と連続した原初の空間を、ついつい感じてしまいます。縦穴住居は大地に穴を堀り、そこに大屋根をかぶせただけの黒々とした空間です。それは言うならば洞窟の建築化です。

そのように見ていくと大きな屋根をもつ民家は、原初空間を大地から切り離し、柱で持ち上げて中空に封じ込めていることになります。そこに呪術的な意味があるのかないのかはわからないですが。

その封じ込められた空間に、有用性を見いだし、切開して多層階にしたのが兜造りです。使用しない広大な空間を孕む建築は、近代ではありえません。内側の空間の外皮がそのまま外部になるのが基本です。その意味で兜造りは民家の近代化を物語るものでもあります。ただ、この黒々とした空間に「お蚕さま」が無数に蠢く風景は、どこか有用性みたいなものを超える原初の風景を感じさせます。

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その一方で同じく明治時代初期に蚕を飼うという目的に叶うためだけに建設されたのが上の建物です。鶴岡市の松岡開墾場に6棟残されています。

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1層2層とも全て養蚕の空間。3層は上屋の通風口をあける通用廊下です。封じ込められた空間は皆無で、全木架構が露出しています。内部空間の外皮がそのまま外観になっています。短手方向の一断面を決めると、あとはそれを長手方向に連続させてつなげるだけです。完全な近代建築(モダニズム建築)の姿がここにあります。

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こうなると蚕の蠢きが放つ呪術性はふきとび、蚕ブロイラーな様相を呈します。「この建築は蚕を飼うための機械である」といったように。

「二次原型」の兜造りには、「洞窟建築の屋根への封じ込めと、その切開」という古代から近代をつなぐ時間が孕まれています。10年以上前にただただ衝撃を受けたこの建築に、いまもその衝撃はそのままでありつつも、その奥底にあるであろうことを考えた今回でした。




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2016年08月22日

「親子でつくる太陽の家」ワークショップ@庄内

こんにちは。渡辺菊眞です。
8月20日に山形県酒田市立「太陽の家」(井山武司設計)で「親子でつくる太陽の家」ワークショップが開催されました。

模型を作りながらPassive Solar House(機械を使わずに太陽の恵みを最大限受け入れることで、夏涼しく、冬温かい環境を実現する建築)の仕組みを学ぶことが、このワークショップの目的です。故:井山武司さんは、一生をかけてPassive Solar Houseに取り組んでこられました。私は2002年度の冬の厳寒時に、井山さん主宰の太陽建築研究所に住み込みで共同研究をさせていただきました。地吹雪が吹きすさぶなか、それでも温かい研究所のなかでPassive Solar Houseについて真摯に教えてくださったことが、いまでもイキイキとした情景として思い出されます。

今回は、そんなPassive Solar Houseの仕組みを簡易な模型を作りながら学びます。

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写真がつくる模型キットの完成版です。左が自分たちがいる大地を基準に、そこを巡る太陽の軌跡が季節によって変わることがわかる模型(天球モデル)。その右は太陽を中心に地球が地軸を傾け自転しながらも公転しているという、天体視点から太陽の家の仕組みを知る模型(公転モデル)。その上にのっているのは太陽の家の完成模型、そして右下は真っ暗で入り口しかない家が太陽の家になっていく過程を知る模型です。

簡易とはいえ、日々、模型を造り倒している私たち建築の輩とは違い、模型造りに不慣れな小学生です。作る分量も多いので、不安がありました。

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しかし、いざはじまると結構上手にカッターナイフを使いこなし、何より真剣なおももちで模型造にとりくんでいました。

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時折、お母さんに手伝ってもらうこともありますが、どちらかというと自分でつくりあげたい、やりきりたい、とおもっている子供たちが多かったです。

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太陽が高度を変えて天空を巡る「天球モデル」、地球が太陽のまわりを回る「公転モデル」を時間内(2時間)に作るまでには至らなかったですが、みんなが作業中に私が急いで作った両モデルを使って仕組みを解説。

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実感のわきにくい「公転モデル」を理解するのは難しそうでしたが、「天球」モデルは普段太陽を見る感覚とも近かったので子供たちは納得できたようでした。太陽のかわりに懐中電灯を使いました。。

この企画、2年前に太陽建築研究会と井山武司さんが実現させたいと強くねがっていたものでした。しかし、高知に最後の「太陽の家(井上邸)」を実現させたのち、井山さんは遠い場所へと逝ってしまわれました。

今回は会場自体が井山さんによる「太陽の家」であり、そのなかで「太陽の家」の仕組みを伝えるという贅沢な状況でした。また、井山さんが逝かれる直前まで病院のベッドでつくっておられたという高知の井上邸の大きな模型が展示されていました。井上邸ができた直後、「渡辺さん、完全なゼロエネルギーハウスができましたよ!」と興奮気味にはなされたていたことを思い出しました。

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井山さんは人間の存立は「「父なる太陽 母なる大地」の対句のもとにある。」と強く語り、その反映として「太陽の家」を構想実現し続けた方でした。天体視点を常に意識してPassve Solar Houseに取り組むその姿に私もとても強い感銘を受けるとともに、こういう視点で「太陽の家」の仕組みを伝えたいとも、強く感じておりました。

今回実現の運びになったのは、井山さんの思いを受け継がれた太陽建築研究会の方々のご尽力によります。まだ1回目で私自身の準備としても不充分な部分はありましたが、毎年どうにか続けていきたいと思います。また、自分自身、宇宙の中にあるPassive Houseの構築を進めていきたいと思っております。


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2016年08月18日

マレーシア雑感04 ペトロナスタワー。亡霊のごとく。

こんにちは。渡辺菊眞です。マレーシア雑感も本日で最後にしたいと思います。
最後はクアラルンプールのランドマーク、ペトロナスタワーのお話。

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東京新都庁と同じく、ツインタワーの超高層です。誰でも何らかのかたちで目にしたことがあるかと思います。
ステンレスとおぼしき金属質の外観は、熱帯の日中に見るにはギラギラしすぎて正直しんどいです。2年前に最初目にしたときは、そんなギラギラへのしんどさのせいであまり正視すべき建築ともおもっておりませんでした。

今回、都市をウロウロしていて、ふと見上げたり、遠望すると、とにかくヤツに出会います。

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ある時は超高層ビルの隙間から。

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ある時はビル群のはるか遠くに。

建て込んでいる大都市のなかの建物なので当然ながら足下は見えません。上層部のみを拝むことが圧倒的に多いわけです。それがどこか非現実な存在を思わせます。あんなギンギラにも関わらず。

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圧巻なのは、足下のモールのアトリウムから見えるヤツの姿です。トップライトの桟とガラス越しなこともあいまって、もはやヴァーチャルな存在へと変容してしまっています。こんな経験を重ねているうちにヤツは亡霊なのではないか?とまで思うようになってしまいました。

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このビルを、最も近くから、そして多くの人々が見ることのできる場所としてコンベンションセンターが面している広大な公園があります。公園に面して巨大なモールがありますが、このモール、実はツインタワーの足下を構成している建物です。にも関わらず、デザインとしては全く別種な商業建築の装いであるため、このモールごしからの風景ですら亡霊感があります。

ツインタワーを全貌できる場所は公園の反対側にあるのですが、そこにじっと集える場所もないため、公園側から見ることが圧倒的に多いわけです。その意味でも地に足のつかない亡霊的光景となります。

また、ニューヨークのようなグリッド都市に墓石のごとく整然とたつ超高層群ではなく、どこかバラバラとビルが立ち並んでいる混乱した都市風景も、この亡霊感を高めているように思います。

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日中はギラギラ建築ながら、それなのに実体感のないこと、月夜に照らされたときだけ静な光につつまれるさま。それらにアジアの建築を、なんだか感じてしまうのでした(設計者はシーザーペリなんだけど。。)。

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2016年08月16日

マレーシア雑感03-バトゥ洞窟

こんにちは。渡辺菊眞です。マレーシア雑感その3です。
今回はクアラルンプールから電車で30分ほど北にのぼったところ(距離にして10数キロといったところ)にあるバトゥ洞窟のお話です。

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バトゥ洞窟の母体となる山は唐突に垂直にせりあがった独立丘です。それまでフラットな地形がひろがっていて、この周辺もこの丘だけがいきなりある感じで、とても奇妙な印象を受けます。大和三山や平安京のゼロ座標たる船岡山のような感覚を覚えます。

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独立丘の内部にある洞窟はヒンドゥー教の聖地となっています。極彩色に彩られた具体性に満ち満ちた彫像であふれており、安っぽいテーマパークのような装いが洞窟下部にはひろがっています(ヒンドゥー寺院の壁面びっしりに埋められた極彩色彫像を見たときと同じ印象です)。

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この洞窟は極めて大きなドーム型をなしており、その大空間を上へ上へとのぼりつめていきます。その途上では先に漏れる光の神秘性と、上へ導く動線のダイナミズムがあり、期待感が高まります。先ほどのゴテゴテ彫像の印象も薄まって来てとてもいい感じです。

しかし、いざ最上部にのぼりつめると空っぽな空間しかありません。途方に暮れたのち、やや虚脱感に襲われながら洞窟をあとにすることになります。

いきなりそそり立つ独立丘の緊張感。洞窟のなかの先に何かがあるという高揚感。そしてクライマックスの位置にある空っぽ。洞窟をあとにした時に再びながめる独立丘の屹立。何かがあったはずなのに結局は核心を見ることができなかったという思い。これは日本の寺社によく見られる空間特性です。

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上の写真は独立丘の麓にあるヒンドゥー寺院です。中央部の屋根を高め中心軸を強調しています。よく目立つ二つの金色塔状建築ですが、その一方は中心軸上にあって、下部の屋根の空間の高め方に呼応する一方、他方は下屋の位置に正面を90度回転させ配置されています。矩形平面上でこの2建築はクロスする軸線を描くのですが、下屋位置にある金色建築と向き合う位置(短手のクロス軸上)には特に何もなく、キリスト教教会のような左右対称の充足したラテンクロスではない、欠落したクロス(空っぽを孕むクロス)を形作っています。

多神教は数々の神様からなる宗教であることは言うまでもないですが、それは何かひとつに絶対性を与えないことでもあります。かといって一つ一つが脆弱なわけでもなく、個々は強度ある存在でありながら、全体としては森羅万象が響き合うことが目指されているように思います。

クアラルンプールの北に唐突に立ち上がる独立丘。その麓とその中にあるヒンドゥーの聖地。そこに多神教の根のようなものを感じました。
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2016年08月15日

マレーシア雑感02-根元にあるものか。郊外のお墓。

こんにちは。渡辺菊眞です。
今回も前回に引き続きマレーシア雑感を御報告いたします。

今回はクアラルンプールから電車で一時間半の距離にあるセレンバンという都市での一コマ。

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セレンバンは遠い昔に海を渡って来た人々によってつくられた都市。その特色が今に息づくユニークな場所です。
今回はそんなユニークさに肉薄するものではなく、そこで見かけた中国系の人々のための一大墓地のお話です。セレンバンの西に流れる川をこえるとそこは丘。

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草花が咲き乱れる丘は空まで続いていきます。そこにポコポコとたつ墓石。川を挟み、その向こうにある場所。空とつながり、果ては他界へと通じるのでしょう。

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埋葬されている人々は中国系の方々。私たちと同じ東アジアの民です。

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山の彼方のさらにその彼方。そこに死者の霊がかえっていく風景。それは私たちの根源にある風景です。
マレーシアという遠い場所で、根っこに触れる風景に不意にであって、訳も無く泣きそうになりました。
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2016年08月14日

マレーシア雑感01ークアラルンプールのオモテウラ

こんにちは。渡辺菊眞です。前回で報告したように、先月末はクアランプールに1週間ほど滞在していました。
場所を問わず、どこかに滞在するとなると、どんなに短期でも、その場所を見てまわります。「人はいかに場所に生きうるのか」その共通の構造と差異を見る、というのが大義名分ですが、小さいころから見知らぬ場所をウロウロみてまわるのが好きなだけ、というのが本当のところです。というわけでクアラルンプールで見た風景についての所感を書き記したいと思います。

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クアラルンプールは東南アジアを代表する大都市のひとつです。超高層がビュンビュンと林立します。

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オモテ通りも数々の商業建築で彩られます。私はこの通りの一本ウラに面したホテルに滞在していました。

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ホテルの窓からの風景。大規模な商業建築のウラ手に中低層の建物が立ち並び、道に面してテントを並べた野外食堂の賑わいがあります。このあたりの食堂は終日、地元の人たちで賑わっており、地の活力を感じました。

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このウラ通りのすぐ近くのビルウラ。おびただしい数の室外機です。中低層建築のウラ側、ウラとして担う機能がそのままの形で表出します。

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次にちょっと離れたところの低層なオモテ通り。ここは有名な屋台ストリートなのですが、早朝なため、店じまい後の風景です。なかなかに趣のあるたたずまいです。

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そのウラ。情け容赦ないウラの風景です。室外機はもちろんのこと大きなゴミ箱が整然と並びます。

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ゴミ回収の車を簡単にそばによせて、とても迅速にゴミを回収可能です。ウラが担うべき機能が機械的空間を生み出しています。

どの都市も同じではありますが、キラキラしたオモテとそれを支えるウラ空間があります。オモテが存立するために機械と化したウラがあるとともに、オモテのひしめきから逃れたエアポケットのようなウラ空間もあります。

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そんなウラ空間に、均質化(どこにいっても同じような)した都市ではない、根元にある文化を垣間みることができます。都市は生き物のようにどんどん変容しますが、その都度できてくるウラに地の空間があらわれてくるのでしょう。そんな様態が魅力的であると改めて思うとともに、ウラ空間が全くなくなってしまうならば、それはキラキラした監獄でしかない、と思いました。

おまけ。

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ウラの室外機にインスピレーションを得た室外機ユニットホテル。メタボリズムポストモダンな作品。




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2015年11月21日

新しい散歩道。

こんばんは。渡辺菊眞です。

D研究所はこの夏、引っ越しをいたしました。奈良盆地の北部西大寺から、奈良盆地の西を限る矢田丘陵をさらに西に超えた生駒山系の谷筋、平群町へ。

ずっと建設模様をお知らせして来た「宙地の間」の日時計裏、「影の間」が新しいD研究所です。また、「宙地の間」は私の自邸でもあります。

私事で恐縮ですが、私は奈良盆地のど真ん中、田原本町に生まれました。また、引っ越すまでいた西大寺はその真北で、いずれも奈良盆地内でした。

現在の平群は盆地西を超えた場所で、ほとんど知らない地域です。
フラフラ歩くのが好きな私には開拓しがいのある場所です。最寄駅の近鉄竜田川駅は近すぎて開拓しようがありません。

しかし、3つ向こうの王寺駅はほどよい距離で、いろんな道筋が考えられます。試行錯誤のすえ、最近見つけたお気に入りコースを今日はご紹介(どうでもよいお話ですみません)。

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「宙地の間」の西は葡萄棚が一面広がる起伏に飛んだ場所。そこを縫うように曲がりくねった道を進みます。
(それにしても葡萄棚はすばらしい!)

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道沿いの溜め池をこえ、

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森に入り、進んでいくと

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鉄塔で森は打ち止め。

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開けた場所に出て

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信貴川沿いの農地の畦を歩いていきます。
あとはほどなく、大和川に至り、少し歩くと王寺駅。

好みにもよりますが、かなりいろんな風景を送り迎えしながら歩ける素敵なコースです。

しばらくはこの道を駅までの道としたいとおもってます。

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「宙地の間」、竣工のあと。ーブログ再開のご挨拶ー

こんにちは。渡辺菊眞です。
随分、ご無沙汰してしまっております。
前回は「宙地の間」の竣工模様の記事で、その時は夏真っ盛りでした。

その後は、新しいプロジェクトの準備などに追われつつ、また「宙地の間」を
少しずつ住みこなしたりしていました。すると、あっという間に秋も終わろうかという、
霜月となってしまいました。

その間にあったことなどはまた改めてお伝えするとして、
今回はブログ再開の挨拶までとさせていただきます。

「宙地の間」は構想から実現まで、実に8年。タイの「虹の学校:天翔る方舟」は土嚢建築にであってから実に13年かかって実現したものです。これからは、一度、なしとげてきたことをじっくりと見返して、その上で新たな展開へと向かいたいと思います。今後ともD研究所をよろしくお願いいたします。

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追伸、「宙地の間」の北庭。砕石が敷き詰められてたのが、いまやたくさんの秋草が風に揺れてます。日時計だけでなく庭も時の流れを告げています。

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2015年06月02日

建築にさかのぼって -Back to an Architecture-

京都大学建築学科が刊行する traverse の10号に向けて、
2009年に渡辺菊眞所長が執筆した「建築にさかのぼってーBack to an Architectureー」

6年前の記事ではありますが、2009年から現在に繋がる思考・実践してきたことの根底が垣間見えます。
また、現在進行中の「宙地の間」構想へと繋がるきっかけも綴られていますので、
ぜひご覧下さい!

↓画像をclickして記事をご覧下さい。
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片岡鉄男
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2015年05月29日

WA Community Awards /19th Cycle WINNER

こんばんは、片岡鉄男です。

タイ・虹の学校の「天翔る方舟」がWorld Architecture Community Awards の19th Cycle WINNER に選ばれました。

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この賞はWINNERに選ばれると作品のポスターがもらえるという少し変わったもので、
過去には、11th Cycle で「東アフリカエコビレッジ」が、13th Cycle では「産泥神社」がそれぞれWINNER に選ばれています。
なんだか懐かしいので、そのときのポスターを張ってみました↓

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東アフリカエコビレッジ

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産泥神社

もう少しすれば、天翔る方舟のポスターも完成するはずですのでお楽しみに!

片岡鉄男

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2015年05月28日

Architizer Awards 2015 授賞式

今月14日にニューヨークでおこなわれ、渡辺菊眞所長も出席した Architizer Awards 2015 の授賞式。
その時の様子が、Architizer の flickr にアップされています。
普段はなかなかお目にかかれない(赤いカーペットとか・・)、とても華やかな授賞式の様子がたくさんの写真で報告されています。

↓画像をclickして記事をご覧下さい。
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Educational:Kindergartens 部門で受賞した「天翔る方舟」の記事はこちら!

片岡鉄男

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2015年05月24日

archdaily に「天翔る方舟」の記事が掲載されました!

こんにちは、片岡鉄男です。

アメリカの建築情報サイトarchdaily に「天翔る方舟」の記事が掲載されています。
竣工写真はもちろん、建設中の様子や図面、コンセプトスケッチなど多くの写真・図版が掲載されていますので、是非ご覧下さい!!

↓画像をclickして記事をご覧下さい。
スクリーンショット 2015-05-24 10.49.17.png

片岡鉄男


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2015年05月13日

Architizer に「天翔る方舟」の記事が掲載されました!

こんばんは、片岡鉄男です。

4月15日の記事でご報告させて頂いたArchitizer 2015 A+Awards (Kindergartens category)での受賞に合わせて、「天翔る方舟」の紹介記事がアップされていますのでご報告致します!
末尾には14日の授賞式に合わせて渡米中の渡辺菊眞所長のコメントも掲載されています!

↓画像をclickして記事をご覧下さい。
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片岡鉄男

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2015年04月15日

「天翔る方舟」 改修・部分補修工事+受賞

こんばんは、片岡鉄男です。

今回はタイトルにあるようにタイ・虹の学校の「天翔る方舟」改修工事の記事です。
と言っても、2月の末から3月頭にかけてのことなので、随分前の話になってしまってますが、、、
書こう書こうと思いつつ、すっかり忘れちゃっていました。
なぜ思い出したかと言いますと、先ほど渡辺菊眞所長からArchitizer A+Awards (Kindergartens category)でWinnerに選ばれたと、とても喜ばしい報が入ったからであります。
まったくもって現金な話ではありますが。。

ということで今回の受賞と合わせて、改修工事の様子もご報告致します。

今回の渡航は2/21〜3/7の2週間で、この間にエントランスドームの改修と現場を確認して部分的な補修をおこないました。

エントランスドームの屋根は勾配が緩かった事で屋根材(ヤーフェ)が痛むのが早く、2度目の雨季半ばから漏っていたこともあり、滑り台同様に鉄板に葺き替えることに。
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ヤーフェを取り外して、鉄板の下地を取り付けます。

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下地を現場溶接で取り付けた後、塗装タッチアップ。大学の休み期間ということもあり、高知工科大学渡辺研究室から浦本君(当時M2)と大道君(当時B3)も現場入り、塗装や補助作業に精を出してくれました。写真はタッチアップをする浦本君。

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屋根材の鉄板も塗装。鉄板を立てかけてあるのは、鉄板を引き上げるための仮設足場です。

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一気に飛びますが、鉄板を無事葺き終え、さらに空いた時間で滑り台や単管の塗装をおこないました。

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最終日には大工さんたちによって屋根頂部の葺き替えがおこなわれ、全工程を無事完了。

また、今回は改修・補修工事に加えて、高知工科大学建築環境工学研究室による温熱環境の測定もおこなわれました。
方舟の心地よいところ、そうでないところ、時間帯による変化などが数値化され、現在分析結果がまとめられている最中とのことです。
現地の大工さんたちとも話し合い、次の乾季には屋根・床・壁の総取り替えをおこなう予定なので、これまでの経過と今回の温熱環境の分析結果を考慮して、改良を加えながらの総取り替えができればと思っています。

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片岡鉄男

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2015年01月01日

2015年のD研究所始動。

 あけましておめでとうございます。渡辺菊眞です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 毎年元旦に同じことをいっていますが、D研究所は2007年1月1日に開設いたしました。というわけで、本日で開設からちょうど9年目を迎えようとしています。あと1年で早10年。月日が立つことの早さを改めて感じています。

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 昨年ですが、タイ国境の孤児院兼学校「虹の学校」学舎、「天翔る方舟 School floating in the Sky」が幾つかの国際コンペで表彰され、それに伴い6月はカナダ、11月にはイギリスへと受賞式に赴きました。こういう受賞をきっかけに、この学校の存在をたくさんの方々に知ってもらうことで、まだまだ運営が厳しいこの学校、そしてここで生活している子供たちへ、なにがしかのよいことがもたらされてくれればと願っています。

 さて、今年はというと、幾つかのプロジェクトが進行中です。
まずは、奈良県平群町に建設中の「宙地の間」。これは日時計が内蔵されたpassive solar houseであり、2008年から構想を始めたものです。実に7年の歳月を経て、今年ようやくカタチになります。この建築は小生の自邸かつ、D研究所を兼ねます。

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 完成のあかつきには、宇宙的存在である太陽の巡りを感じながら、生活しつつ、D研究所本部としてメンバーが設計業務を進めていくことができます。完成は6月末くらいを予定しています。

 次は「土嚢の宿の覆屋」。これは高知工科大学、渡辺菊眞研究室のプロジェクトではありますが、小生含め、D研究所の片岡くんも、現場を指揮し、学生とともにつくりあげるものです。日本型の土嚢建築の雛形としての意味をもちうるものとして建設を進めています。このプロジェクトのポイントは現場で逐一、光の入り方を含めた空間の在り方を確認しながら、その都度、変更修正をしつつ作り上げていく点です。基本図面だけがあり、あとは現場で判断という作り方です。学生たちと思考錯誤しながら、妥協なくよりよい空間を作り上げたいと思っています。

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 この建築は完成した空間だけが意味を持つわけではなく、それまでに展開される建設風景が大切だと考えています。日々姿を変えていく現場の風景が、この敷地が立地する神母木(いげのき)という小さな町に、刺激と活気を与え、何かワクワクする場を形成できると感じています。完成すれば村の行灯のように、夜の漆黒に不思議な明かりを灯す存在になるものと願っています。

 最後は、タイの虹の学校の新施設です。具体的には浴場を計画します。虹の学校があるサンクラブリは日中はとても暑いのですが、日が落ち始めると急速に冷え込みます。現在、そのなかで震えながら水を浴びるのですが、これはなかなかにつらいものがあります。そこで、「ここにしかないような浴場を計画して欲しい」という依頼をNPO「輝くいのち」代表の玉城秀大さんからいただきました。薪をつかって風呂をわかす装置を含め、それを覆う心休まる空間を目下構想中です。

 というわけで、今年は幾つかのプロジェクトが同時進行いたします。これまで、さまざまな国で建設を進めてきましたが、どの場所でも、それが故郷であると思いながら、空間をつくりあげてきました。たとえ、アフリカでも西アジアでも、そして日本でも、そこにある身近な場所をとても大切に思いながら、なおかつそれを超える広大な宇宙や内面の心的宇宙の深みへと思いを馳せることができる場所をこれからも作り上げていきたいと思っています。

「すぐこことはるかかなたをつなぐ」

今年もD研究所をどうぞよろしくお願いいたします。

D環境造形システム研究所 代表 渡辺菊眞

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2014年02月02日

川辺に思うー渡辺研修士研究調査模様

こんにちは。渡辺菊眞です。

ここ数日は最早、春といっても言い過ぎではないポカポカ陽気。
でも、また寒さがもどってくるようです。
冬が好きな小生としては、なんだかホッとしています。

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さて、先日、渡辺研究室の院生、城田くんと鏡川沿いの聖所(祠や神社)調査に同行しました。
彼の研究題目は「水路に寄り添う聖所、葬地の空間的特質」。
この題目から予想できるように、彼の本当のフィールドは水路、
具体的には物部川から引かれた運河、船入川水系です。

しかし、この水路脇の祠や墓地、その配置はかなり複雑な様態で、
この配置の特質を読み解くのは容易ではありません。
水路は明らかな人工空間。
しかし、何故か、ここに聖なる兆しを見いだして数多くの祠や神社が寄り添います。

この聖なる兆は、おそらく、その連想の源である河川にもとめられるのではないか?
そういう意図でまずは河川脇の祠を調査することとなったのです。

調査してわかったのですが、鏡川沿いの神社、祠の配置はとても明快。
都市部のそれは橋のたもとに、川の流れの向きを向いて配置されるものがほとんど。
都市部を離れ、農村部に以降すると、橋のたもとであることは変わらないものの、
今度は河川の流れに直交方向を祠(お地蔵さん)は向きます。

この明快さを前にして、水路に寄り添う祠や葬送地の配置の複雑さが、ますまず謎めいてきました。
しかし、その謎めきに、逆により深い興味がわき、
考察をどんどん進めるためにも多様な調査を重ねたいと感じた次第です。

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この日はよく晴れた日でしたが、風が肌寒い冬の一日でした。しかし、ある祠の前には黄色い小さな花が咲き乱れ、このスポットだけが春であるかのような不思議な風景がありました。

その他、江戸末期に河川氾濫をしずめるために人柱になった少女のお話など、川と人をめぐる、宿命的な哀しみの話などを知り、何ともいえない感覚に襲われたりもしました。

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この銀杏の下に、人柱になった娘と、その母親を祀る地蔵があります。

命の源泉たる水を運ぶ川、そして人の命を奪いもする川。そんな場所に寄せてある聖所や葬送の場所。その構造を読み解くことは、いま、忘れ去られつつある、根源的な感覚を再び思い返すために、重要であることを、院生の城田くんともども再認識しました。

この水路調査はじめ、研究室の調査風景などはおりに触れた報告したいと思います。

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2014年01月24日

受賞や掲載などなど。

こんにちは。渡辺菊眞です。

今年はひどい寒さがつづくかと思えば、やけに暖かで春を思わせるような日になったりと不安定な天候です。
年々、「異常」が続いていて、何が「正常」なのかもはやよくわからなくなってしまいました。まずい事態なのだけは確かだと思うのですが。。

さて、今回は受賞や掲載などについてのご報告です。
まずは受賞。

水と土の芸術祭2012で制作した「産泥神社」が2013 International Awards Program for Religious Art & Architectureにて入選しました。これは宗教的な建築と美術に送られる賞で、世界的にも著名な賞です。キリスト教教会に関わるものがほとんどなのですが、都市の片隅にある、都市や場所の起原を憶う空間が、その中で評価されたことを素直にうれしく思います。

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どこにでも簡単に手にはいる材料で、瞑想的な空間が、このような場所にあることの重要性が評価されたようです。このような試みがもっと今後もおこって欲しいとのこと。建築が在る場所が法規制によって厳しく制御されている中、この立地(土地の用途として道路であり、国土交通省の許可が必要でした)での試みはとても大変な困難を伴うものだったのですが、こんな試みをそれでも提起しつづけたいと思っています。

次に、掲載ですが、建築やアートの一大website、designboomに、タイ国境の孤児院兼学校「天翔る方舟」が掲載されています。現在竣工から早くも半年近くがたとうとしています。子供たちの大好きな場所になっていることは言うにおよばず、学校のシンボルとなり、この学校を見たいがために訪れる人も大勢いるようです。見学のあとは寄付もしてくださっているようで本当にありがたい話です。

たくさんの人に愛されて、とても幸せな建築だと、改めて感じています。

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年があけて早くもひと月がたとうしています。今年は日本での住宅プロジェクトを中心にしつつも、タイでの試みの発展型として、その隣国でも建設を展開していきたいと思っております。またの御報告をお待ちいただけたらと思います。



posted by 渡辺菊眞 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする