こんにちは。渡辺菊眞です。
高知は連休中はずっと晴れ空で、あたたかいというよりは暑い感じでした。連休が明けた本日は久しぶりの雨降りで気温も下がってしまいました。こんな時は風邪を引きやすいので注意したいと思ってます。
さて、連休中の5月4日にD工房長の片岡氏と、高知工科大学渡辺研究室の大学院生の寺本くん、小松さん、そして小生をあわせた4人で大豊、祖谷、そして三好方面に地域空間調査にいって参りました。空間調査といっても概ねの探訪方面を決めて何かありそうな気配がすれば見に行ってみるといったかなりアバウトなものです。直感を働かせてまずは風景に直に向き合うといった主旨です。
その細かなレポートは院生両氏から
渡辺研究室のblogにて報告があると思うので、今回は特に印象に残ったことについて少しお伝えできたらと思ってます。

これは徳島の三好市にある坪尻駅です。この駅から岡山方面にいけば、琴平があり、逆に高知方面に向かうと箸蔵寺があります。江戸時代の代表的な二つの聖地に挟まれているわけです。この坪尻駅、その名の通り四方を急峻な崖に囲まれた坪の底(=尻)のようなところにある駅で、今現在でも車ではアプローチできません。車ではこの駅からはるか200mは標高が上方の国道に一旦車をおいてから山道を15分くらい下ってアプローチせねばなりません。まさに「秘境の駅」なのです。

この駅に降りる人はそのほとんどが「秘境の駅」を見たいという人たち。しかし現在でも現地の方が、たった一人だけ使用しているそうです。それもそのはず。この駅を利用しうる集落はここから上方、たっぷり標高300m以上(時間にして50分以上)は徒歩で上らねばなりません。車交通へと移行した現在ではわざわざこの駅を利用する必要はないのです。
その上方にある集落は概ねこんなイメージ(下の写真は東祖谷の落合なので、坪尻上の集落ではありません)です。すさまじく急峻な崖にへばりついて暮らしています。

現在ではかなりの奥地へも、下の写真のような道路が行き渡りつつあり、車で行きたい場所にいけます。

ただ、そんな状況になる前、深い谷底に鉄道が開通し駅ができたというのは、ものすごく大事件だったはずです。間違いなくそれ以前は尾根づたいの道(=往還)をつたっての、ひらすら徒歩移動だったはずですから。
ある時、谷底に駅ができる。いままで見向きもしなかった谷底に村人が嬉々として降りていきます。そんな風景はそれ以前にはまったく想像できないものです。
そして車道が村まで達する時代になり、谷底は忘却され、今度はかつては信じられないような山腹ルートを通って楽々と車で山越えするわけです。
社会が大きく変革する時、それが土木施設となって可視化されます。建築スケールでは起こりえないほどの生活変革が劇的になされるわけです。よいとか悪いとかではない本当にすさまじい変革がそこにはあるのです。建築は規模は小さいものの、建築物の構築を通して社会に何事かを投企するという面では土木とまったく同分野です。
「役に立つ、立たない」という議論が工学分野ではよくあります。そしてその時点においては確実に「役に立ちそう」なものが推奨され構築されます。ただそこに忘却されている時間というもうひとつの次元がどうしても気になります。この時点はどういう未来を誘導するのか、それを常に見据えることが重要です。ある瞬間に身をおきながら、そこをつつみ流れる長大な時間まで時間スケールを飛ばしながら、再度その時点を見るというような時間感覚のズームがこれからは本当に不可欠になるのではないかと思います。
現在に拘泥して盲目になるのはとてもとても危険です。
そんな当たり前だけど、大切であろうことを改めて考えてしまいました。この坪の底の地で。

追伸、調査模様なD工房の「
Dのひだまり日記」でも報告されてます。是非ご覧ください。