2008年08月05日

2008年上半期終わりに思う。

 こんにちは。渡辺菊眞です。

 8月15日からのアフリカ渡航に向けて黄熱病などの予防接種をしたせいか、身体全体がダルイ日々がしばらく続いたのですが、ようやく快復してきました。

 緑の隊員:高橋からの報告にあったように、先日8月3日には、神楽岡スライド会にて「土嚢と建築」なる題目で講演してきました。

 「左官職人かつ建築家」というユニークな存在で、大学時代の同級である森田一弥氏から依頼を受けたことから始まったお話だったのですが、土嚢建築に出会ってからもう8年。もともと自分で開発した工法でもなく(開発者はイラン人建築家:ナアダ・カリーリ氏)最初は土嚢に振り回された感がありましたが、数々の設計施工、計画案の制作を経て、ようやくこの工法ならではの空間構築法を編み出せる段階にたどりつきました。また、単純な工法ゆえに逆にその根源的な意味を自問自答しつづけて、そこに秘められた建築的意味についての思考も深まってきました。なので、それらに関して一度まとめる必要があると思っていたところでした。そういう意味でもこの時期の講演依頼はとてもありがたいものだったのです。

 昔から森田氏には並外れた嗅覚がそなわっており、こちらが想像もつかないような場所に飛び込んだかと思ったら、急きょ帰還して、結局は建築の普遍的かつ先進的な場所に立っているという、たいへんな傑物でした。今回もこちらの「機が熟した」状態をその嗅覚で探り当てたのか、とても絶妙な時期の依頼だったわけです。森田氏の動物的嗅覚が探り当てるであろう、こちらが予想できないような建築の展開を思うとワクワクします。彼には今後も驚かされそうです。

 この講演では「土嚢建築をとおして、いかに建築の普遍、根源へとたどりつくか」を最も伝えたかったのですが、それをまとまった形でお話する機会がもてて本当に良かったとおもってます。また、8年間ともに土嚢建築に取り組んできた凄腕の土嚢建築職人:河口尊さんにも発表に加わっていただけたことで、彼にしか伝えられないことをお話しいただき、講演内容に厚みがでたこともありがたいことでした。

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 さて、この講演のため神楽岡に向かう時に、研究所のポストに雑誌が送られてきたのを発見。先日、取材を受けた内容が記載された「建築ジャーナル8月号」です。当方、8月15日に東アフリカ入りして、エコビレッジ住棟建設を行い、9月半ばに帰国、その後10月第二週からヨルダン入りして別件の建設に入るのですが、これはそのヨルダンで建設する女性のための研修施設に関する記事です。この研修施設はヨルダンで現在壊滅的な状況にある石造工法を採用し、それに土嚢工法をミックスさせて建設します。彼女たちが自律していくための活動拠点となるとともに、廃絶寸前にある伝統工法の継承のための基地となることも求められます。ヨルダンにとってのちのち大きな意味を持つ建築になるのではないかと思っています。
※※この8月号特集は「設計事務所独立指南」で、森田氏もユニークな若手建築家として紹介されていました。

 こんな風に、目前に迫った海外の二つのプロジェクトのため、かなりおおわらわな状況ではあるのですが、僕にとっては2008年の大きな節目を向かえています。これはもう10年以上続いているのですが、一年のうち前半は大学の非常勤講師で講議科目を担当しているので、この時期は机に座って大量の本を読み講議用資料を作成する時間が多いのです。特に現在抱えているのは「建築論」の講議ですので、「形態の背後にある原理・観念」といったことに向き合うことになります。今年の講議は先月に終了したのですが、週一とはいうものの、その準備はたいへんでした。

 ですが、一年のうち、その半分を建築の原理について考えることができるというのは、とてもありがたくもあります。思えば、土嚢建築という最もモノモノ(物体)しいものを扱う建築に携わりながら、それでもその建築的展開を粘り強く考えようと思ったのは、この生活リズムのせいかもしれません。いま、執筆を続けている「日本建築の空間構成」の研究も、もとはといえば大学で「日本建築史」を教えていたことがきっかけとなったものでした。

 そんな「建築論」的な前期をようやく終えて、海外プロジェクトの実践から後期がスタートします。この実践を経た結果、来年の「建築に向けての思考」がより深い位相にまで達せれたらと思っています。
物体と観念の間に螺旋的上昇を発生させて未知なるステージへと向かうこと。それが僕の、そしてD研究所の願いです。

 海外渡航までの業務はまだまだ山積み。頑張ってこなしたいと思ってます。

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posted by 渡辺菊眞 at 10:23| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

神楽岡スライド会「土嚢と建築」を終えて

 暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 緑の研究員、高橋です。

 Dのホームページでもご案内しましたが、昨日は京都の神楽岡工作公司にて「神楽岡スライド会」が開催されました。神楽岡工作公司とは京都を拠点にさまざまな職能の方々が集結して創作活動をされているグループで、そのグループのみなさんを前に、Dの赤い所長の渡辺菊眞が「土嚢と建築-From Earth-bag shelters to Architecture-」と題して講演をしてまいりました。


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 写真は講演会開始前の様子です。右手前にいらっしゃるのは、建築家の森田一弥さん(森田一弥建築設計事務所)。今回の講演会の依頼は森田さんによるものでした。

 気になる講演はというと、土嚢建築の技術習得にはじまり、工法、これまでに建設されたものの紹介、そしてウガンダの東アフリカエコビレッジプロジェクトの紹介などなど、土嚢建築盛り沢山の内容でした。ところどころで質問が飛び交い、終始和やかなムードで進んでいきました。

 さらに、今回の講演にあたって強力な助っ人の方にも登場していただきました。写真左にいらっしゃる、造園家の河口尊さん(天理教営繕部)です。


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 河口さんは通称土嚢建築職人で、世界で三本の指に入るほどの技術の持ち主と言われています。これまでに数々の土嚢建築の建設に職人として携わってこられ、その軌跡を特に職人の視点からお話していただきました。中でも、実際に建設できるようになるまでの苦労話はリアルかつスリリングなものでした。神楽岡工作公司のみなさんには興味深く聞いていただけたのではと思っております。

 さて、盛り沢山の土嚢建築の紹介が終わって、そろそろ講演も終了かと思いきや、いやいやそんなはずはありません。Dの赤い所長による講演の締めは、「Dの建築」についてでした。

 土嚢建築はこれまで幾多の建設を重ねることで、技術や計画は進化してきました。そして今でも進化しています。土嚢建築はあくまでDのめざす建築の一つであります。われわれは、さらなる研究と開発、そして種々の成果の融合を経て、「すぐこことはるかかなたをつなぐ」建築の構築を目指してまいりたいと思います。
posted by 高橋俊也 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

ライトをハメル。などなど。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。

 先のブログで報告したように、先日「三巨匠を場所にハメル。」即日設計ワークショップがひとまず終了いたしました。前回は僕個人の所感をつづったのですが、今回はワークショップの模様について報告したいと思います。第三回目は「ライトをハメル。」。ライトの名作、落水荘を彦根のとある場所にハメルわけです。その場所ですが、

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こんな場所です。山もなければ、木も、もちろん渓流なんてどこにもありません。

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この、ぽっかりと空いた場所、地図で確認すると一番主要な前面道路に面する家が歯抜けとなってしまって、本来はなかなか目にすることがなかったはずの街区の「あんこ」部分が明るみに出てしまった場所のようです(敷地はだいたい地図のピンクに彩色した場所です)。

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かつてあった家の敷地境界を示しているであろうコンクリート残骸が敷地に残ります。このように家の歯抜けが生じた結果、

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路地のどんつきが、この敷地に向けて通じてしまい、

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ガレージも、この敷地のアクセスのようになってしまってます。

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当然、家の歯抜けの部分自体がこの敷地への主要アクセスとなるわけで、これは上のような表通りに通じています。というわけで、この敷地は
1、表通りからのアクセス
2、裏路地からのアクセス
3、ガレージからのアクセス
といった、3アクセスが可能な敷地となっています。表通りはとりすました表情をしてますが、この裏はかつての花街であり、道も細く完全に裏の顔を持っいるわけです。

 これらのことを頭にいれ、いつものごとく制作会場に戻ります。今回は前回の総評に時間を使ったため、30分短縮の5時間半の制作時間です。各々制作に入ります。

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 奥が美和さん。実は前回の「コルビュジェをハメル」のリベンジ会(通称「R会」)を前日の朝からやっていたため、この段階で既に24時間以上、設計制作をやり続けています。今回は元来は豊かな自然に向けて伸びていたテラスを内向きに伸ばすという「内外反転した落水荘」をもとの家屋の敷地割などから得られたグリッドにのせて計画していました。

 手前が又吉くん。敷地周辺に散在するランダムな切妻屋根を地形とみなし、この地形形状に呼応する切妻状のテラスと、テラスや居室間がもっと自由な関係を持てるような部分空間の立体的接続を試みました。

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 これは中村くん。彼はいつも一人だけ壁に思い切り向かって制作に没頭します(「中村壁スタイル」)。今回は、敷地が表裏が捻れてまじわる場所としてとらえ、落水荘がそんな場をより加速させる「メビウス建築」となるような平面と断面が捻れた空間を構想しようとしました。

そんなこんなで、あっという間に制作時間は過ぎて、時間切れ、提出となります。

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 そして、中央テーブルに作品が集合。

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 さっそくプレゼン&相互批評に入ります。手前のピンクのTシャツが主宰の高橋渓くん。今回は落水荘の平面のいろんな場所に現れるL型構成に着目して落水荘を再構成しました。

 奥で静かに模型を見つめるメガネの彼は同じく主宰の中浜くん。三つのアクセスの空間性に着目して再構成したアプローチと、低層の切妻屋根上に、敷地の主のごとく居座る落水荘を築き上げました。そこには自然と親和するといった落水荘の通例の言われ方に関する痛烈な批判精神が見えます。

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 同じく講評会のひとこま。手前の赤いのは僕。

奥で座ってメモ書きする青い服のイケメンは鮫島くん。水のない今回の敷地で、水のかわりに今回は人をテラスから水のごとく落とすイメージでのぞみました。テラスはどんどん地下に落ちていき、地下にいけば地下にいくほど人々はイチャイチャしだすという案配です。FALLING WATERならず、FALL IN LOVEとのこと(やや寒)。これはこの敷地のすぐそばが花街であることと重ねた上でのことだそうです。

 ピンクの高橋くんの後ろで座って静かに講評の様子を眺めているのは山田さん。今回は多忙のため制作には参加できませんでしたが、なんとか講評会には参加してくれました。

そして、これらの写真を制作中も撮ってくれていたのが中くんです。
彼は、常に興味深い空間操作を編み出します。そして数種の空間操作を複合させる、その手さばきはには、未来の建築魔術師の姿が見えます。

 こんな状態で、議論を重ね、あとはおなじみの採点です。落水荘に関してはコアとテラスに空間がはっきりと二分できます。ただ、テラスは関係をもちたい自然に向けて伸びるものです。この敷地ではダイレクトに関係を持ちたい要素は見あたりません。ここをどう解釈して空間を組み換えるのかがひとつのポイントです。

 あとは敷地をどう読むか。もとあった敷地の家割りを考慮するのか、現在できてしまったスリーアクセスを積極的に計画に取り込むかの選択に迫られます。

 最後に、落水荘で圧倒的存在感を放つ地形をいかに補填するか。ここも重要になります。

 これらの問題点すべてに絶妙な回答をあたえるのはなかなか大変です。下手すると計画も拡散気味になります。そんな問題点を含めて議論を重ね、ありうべきハメ方を模索するわけです。

 これを終えるともうクタクタです。この後懇親会へとなだれこみ、みんなや僕の恩師でもある布野修司先生と合流します。この場も大事な意見交換の場となります。そして各自泥酔し、爆睡し、、、しかし、明日があったのです。

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 この日までに自主的に行われた、ミースとコルビュジェの「R会」作品を前にみんなで講評します。朝9時に。だいぶん死にかけな体調でしたが、さすがに「R会」、これだけ巨匠作品と向き合っていると彼らの作品の心臓部がよく見えてきます。それゆえ、その心臓をつくクリティカルな操作法までが見えてくるのです。これは大きな成果です。個々の作品の内容に関してはここでは割愛します、、。

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 そして昼食をはさんで、こんどは三巨匠すべてをハメた上での総評会。何故か琵琶湖に移動して議論します。「R会」での成果もあり、巨匠には心臓部があること、そしてそれに応じた心臓の刺し方と、その果てにある新空間生成の可能性が紡ぎ出されていきます。ここで写真撮影の役割がチェンジしたため中くんがようやく登場しています。手前中央向かって右の白いTシャツが中くんです。

 時間は刻々と過ぎ、夕暮れ。議論はここでひとまず終了です。個々に掴みかけたものを抱きながら、夕暮れの琵琶湖に向かって一本締め。

 たぶん、ようやくここからいろんな展開が始まります。そんなことを個々の胸に刻みながら、まずは三ヶ月の全課程が無事修了。そんな七月十三日でした。

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 追伸、向かって左側から二人目は林くん。前日の「R会」激務がたたって過労で起きれず、ライトをハメれずじまい。その自在かつユニークな時空の操りは彼ならではのもの。
posted by 渡辺菊眞 at 23:21| Comment(3) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

三巨匠をハメル。終了しての所感。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。

 先週くらいから鳴き始めたニイニイゼミの声に、とうとうクマゼミの声も混じってきて、本格的な夏到来です。今年の日本はなんだかとても暑い夏になりそうです。たぶん八月から行くウガンダの方が涼しいと思います(赤道直下で高原ゆえに常に28度)。

 さて、昨日7月13日で、僕が講師として参加してきた「三巨匠を場所にハメル。」即日設計ワークショップがひとまず終了いたしました。その模様はまた改めて報告しますが、このワークショップを通じて改めて感じたことがあります。今回はワークショップの制作模様からは少し離れて僕自身の所感をつづりたいと思います。

 基本的に、彦根に設定したどの敷地もせまく、場合によっては不定形なので、三巨匠の作品を切断したり、圧縮したりしなくてはいけません。これは生物解剖のようなもので、その内部構造を注意深く観察、読み解かなければ、うまくいきません。単なる切断であれば、何処を切ってもいいわけで、解剖とは違います。

 なので場所の物理的条件にまずは規制されて、巨匠建築を解剖する行為が始まるわけですが、解剖過程でようやく彼らがそこに仕込んだ技と、それら全てを統合している心臓部、そして諸機関の連携システムというものが見えてきます。

 設計過程では、メインコンセプトを可能にする心臓部をいかにつくり、それをメインにすえながらも、最終的にそれがすぐには見えないように隠蔽していきます(少なくとも僕はそうしてます。心臓部露出だとそこを刺されてすぐに死んでしまいますから)が、その過程が彼らの解剖を通して見えてくるのです。

 そして、その技術と心臓部の埋め込み方を感じながら近代巨匠の(空間構成)技術というものは、当たり前だけど、古代から連綿と続いてきた建築構成の技術の集積を素地にしているんだと、改めて感じたわけです。こういったことはこれからも同じように続いていくでしょうし、そうあるべきだと思います。

 ということで、また改めて当たり前なことを考えました。彼らは巨匠だけど、近代という大きなパラダイムがあったからこそ、これまで集積されてきた建築技術の行使法をあたかも新技術として「開発した」かのように見せることができたのであろう(新たな工業技術が可能にした空間というものはもちろんありますが)。また、近代という社会変革の中枢から、彼ら自身の適正にフィットする部分を選別して、そこに建築空間の構成技術をうまくハメこんで、逆に「近代を誘導する建築」に見せることもできたのだろう。要するに、彼らが建築家として極めてすぐれた技量を持っていたのは当然にしても、世界的なパラダイムシフトがあったからこそ、彼らを巨匠たらしめたのだと感じたわけです。

 普遍的な建築構成技術+@(この@の開発はたいへんやけど)と、世界パラダイムの変化。この二つがあるときに巨匠は生成されるようです。モダニズム以降、ポストモダン、デコン、ネオモダンと皮相な流行は流行ゆえにどんどん流れていきますが、そこにはモダニズム発生のときほどパラダイムの変化はみられません。というより、建築村においては、それを感受するアンテナがぶっ壊れているように感じます。デジタルとかいってますが、建築は結局いつまでもローテクなもんでしょうし(電脳空間で生きることができる人は、肉体を捨ててなお生きててください)。そうこうしているうちに、建築の世界で連綿と開発されてきた普遍的な技術ですら忘却され、それを全く手にしていない「建築戦闘力ゼロ系」が増えていきます。

 また、ポストモダン以降「場所性の復権」などということが言われ初めたけど、それももはや形骸化して、でもやっぱり必要みたいな「効力ないけど唱えるのは必須な呪文」になってしまいましたが、その効力が本当はいかほどあるのかということも今回のワークショップで試してみたいことでした。

 そのためには場所そのものをテーマにするよりは、全然別のプログラム(この場合は巨匠建築をハメルということ)を介入させて、逆にその力をあぶりだせるのではないかと思ったわけです。その効力については、まだ、はっきりとは言えませんが、ポストモダン以降の建築界で捉えられたきた「場所」の扱いだけでは、建築空間を大きく刺激するものには成りがたいと、ワークショップを通じて感じています。それこそ「場所の心臓」の所在をつきとめねばなりません。「場所の心臓」とやらも、何かもっと大きなパラダイムの中から見えてくるような気がしています。

 さて、世界を見ると、あいかわらずの何の変化もない、、、、。うん?ほんまにそうでしょうか。えらくたいへんな変化が世界にありそうな気がしますが。となると、これまでの普遍的建築技術を可能な限り身につけ、クリティカルな「@技術の開発」を行えば、単なる流行を超えた建築が見えてくるかもしれません。そんなことを考えていました。

 即日設計ワークショップで各自が掴みつつあるものは今後、つめて制作をし作品を完成させ、「三巨匠場所ハメ実行委員会」のみんなによって最終的に冊子にまとめられていきます。この建築解剖を起点におこりうる大きな成果に(自分自身の奮起も含めて)期待しています。
posted by 渡辺菊眞 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

コルビュジェをハメル。

 こんにちは。渡辺菊眞です。

 去る6月28日に「三巨匠を場所にハメル。」即日設計ワークショップが彦根にて開催されました。今回は第二回目、お題は「コルビュジェをハメよ。」です。

 彦根市の具体的な場所にコルビュジェのサヴォア邸をハメるわけです。というわけで、まずは敷地調査。

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 今回の敷地は旧武家町の町家の並ぶ一画。上の写真の背の低い町家と奥の町家の間にあいた隙間が敷地となります。早速奥にはいっていきます。

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 手前には鉄骨のガレージがありますが、その奥にヴォイドがあり、

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 緑が植えられたさらに奥に、役行者像を祀る祠があります。この祠を所有されている住民の方にお話をうかがうと、ここは彦根城の「裏鬼門」にあたる場所とのこと。かつては大きな屋敷があり、その屋根裏には密偵が控えていたそうです。そのころから安置されていた行者像ということで、現在はかつてあった祠を移動させて、ややその位置を変えてはいるものの、城下町:彦根にとって、極めて重要なポイントであったわけです。

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 この祠へ至るヴォイドの前面道路はすぐ横で鈎の手に折れ曲がります。この屈折は彦根城の堀の屈折が同心円状に街路に影響を与えて形成されるもので、この不連続点も、この敷地をめぐる特性として大きなものとなります。

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 この屈折点のすぐ向こうには彦根城が見えます。というわけで、今回の敷地では、
1、祠へ至るヴォイドを、参道として、いかにうまく作れるか。
2、街路の屈折という特質を計画に反映させることが可能か。
3、彦根城の裏鬼門という特質を効果的に計画に反映させることは可能か。
などに、おのずと問題点が絞られてきます。

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 これらのことの解決法をおのおの頭に描きながら、早速、会場に戻って、制作を開始します。6時間の長丁場です。

 とっても長く、けど時間がやはり足りなくなるそんな怒濤の制作を終えて(その風景は割愛)、

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 何とか造り上げた作品を中央卓上に並べます。

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 この後は、各自数分間のプレゼンをして、相互批評に入ります。

 この流れは前回の「ミース編」と同じです。

 さて、コルビュジェをハメてみて、改めて見えてきた彼の作品(少なくともサヴォア邸の)特性が見えてきます。今回の敷地も狭いので、サヴォア邸は当然、そのまま入りません。奥行き方向は収まるものの、幅は約1/3。よって、平面を削って、上に積むなどの操作が必要となります。

 しかし、前回のミースと違って、サヴォア邸はきわめて切断するポイントを見極めるのが難しいのです(逆にミースは「切断おすすめ線」が明瞭に見えていました)。というのも、ひとつずつは明確に完結した形態やシステムを有しているものの、それらを複数重ねることで、互いの完結性が不能になり、それぞれの要素間に自己完結を阻む奇妙な「ズレ」が生じているからです(その「ズレ」こそに表現の秘密がある)。そして、その「ズレ」が連続的に生起することで意外性に富んだ魅力ある空間を生み出されています。一見、3層ごとに、そして平面の部分ごとに明瞭に分節可能にみえて、空間は蛇のように連続的につながっています。詐術にも見える巧みな空間操作がそこにはあります。

 ですので、そこに、切断はじめ、細々とした操作を施すと、それがやけに陳腐なものと化すのです。これには、みなさん苦しめられたようです。いろいろ施しても、「窮屈なサヴォア」しか生み出せないような状態が迫ってきます。

 さらに、裏鬼門や、祠の参道、街路の屈折といった敷地特性とクロスさせて発見性ある全体空間を形成しなきゃいけません。

 かなり、厳しい戦いとなったのですが、それでも戦い終えて、やっと見えてきたこともたくさん出てきました。ここではそれに関しては述べませんが、その見えてきたことをもとに、再度、作品を練り直していく作業が今後、各自に残されるわけです。この夏の間に次回の「ライトをハメる。」を含めた作品が完成形として提出されます。

 その時また、それぞれが完成した姿を報告できたらと思います。

posted by 渡辺菊眞 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

六月半ばのD研究所。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。梅雨の真っ直中、しとしとと雨が降り続き、時折晴れたら猛烈に蒸し暑い。そんな鬱陶しい季節となってしまいました。

 さて、D研究所では前から報告しているように、八月から始まる東アフリカエコビレッジ住棟建設に向けて、いろいろ準備をしてます。
黒い研究員がコツコツと制作を続けている全体模型も、ようやく8割弱できてきました。

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 現在は、建築の立体的な検討はCGにて行うことも多いのですが、空間的に見えてもCGは結局二次元。変にパースが効いてたりして(かっちょよい錯覚などが生じて)よくないことも多々あります。やはり三次元表現の検討には三次元の媒体が一番。というわけで模型にて全体空間を検討します。写真奥のピンクのシャツ(実はあまりしられてないですが、Dの研究所カラーはピンクなのです)を着ている人物は、江崎研究員。自ら作成した模型を鳥瞰し、小生と検討を重ねます。

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 さて、東アフリカに8月〜9月に渡航後間もなく、10月に入ると、小生と江崎はヨルダンへ向かいます。昨年からずっと、彼の地で活動する女性団体のための拠点実現へ向けてさまざまな準備を重ねてきましたが、現在は工程を含め、国内で最後の検討段階へと突入しています。上の赤い枠におさまっているのがヨルダンにて建設する、石造+土嚢造の研修施設です。

 このように二つの海外プロジェクトの準備を急ピッチで進めているわけですが、そんな中、研究所にお客さんがやってきました。

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 島根県隠岐島の海士町を拠点とする、株式会社「巡の環」の高野さんです。島という完結した環境の中、持続可能な地域モデルの構築を目指されています。環境は完結してるとはいうものの、ここで持続可能な地域社会が形成されるには、さまざまな外部とのつながりや情報の発信が不可欠になります。そういうわけで、町の人とのつながりはもちろん、そのほかのさまざまな人とのつながりをサポートされているのです。

 高野さんには、昨年、小生が東アフリカエコビレッジプロジェクトを発表した、東京の国際会議でお会いしました。その時は、隠岐へいかれる直前。そして今回の研究所来訪の直後にアメリカへ飛んでGaia Universityのワークショップに参加されるとのこと。

 今回、海士町のお茶「福来茶」(上の写真左)をおみやげにいただきましたが、これも地元のNPOが製造されたもの。おそらく、彼女のような人物がいなければ、島のこともこんなお茶があることもずっと知らずにいたかもしれません。地域で自律しうる生活ということはとても大切ですが、現代においては、そんな自律した生活風景がはるか遠い場所においても知ることができ、ことによると、そこに探訪したり、情報を提供することで、何か予期しないような生産的なことに関わりうる可能性が強くあるのが、昔との大きな違いである気がします(基本的に昔の山村漁村はすべて持続可能な「エコビレッジ」だったでしょうから)。

 遠い地での二つのプロジェクトの準備を進めながら、少し遠い島からのお客さんを迎えた、そんな六月半ばのD研究所でした。
posted by 渡辺菊眞 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

エコ活動視察:御宿町

 みなさん、こんにちは。緑の研究員、高橋です。毎日じめじめした天気が続き、本格的な梅雨の季節に突入しました。いかがお過ごしでしょうか。

 そんな梅雨空の下、われわれ研究員一同は南房総の御宿へと向かう機会がありました。D研究所の設計する東アフリカのエコビレッジプロジェクトに関する打合せで、赤い所長が「Onjuku Organic(おんじゅくオーガニック)」の三成拓也さんに直接お会いするためです。ただそれだけでなく、われわれ研究員一同は三成さんをはじめとして、御宿に住んでエコ活動を実践しておられる方々にお会いする機会を得、みなさんの成果を目の当たりにすることができたのです。

 三成さんは、土嚢を使ったバイオガストイレの型を独自に開発され、その試作品をご自宅の近くに建設されました。バイオガスとは、人糞や家畜の糞尿を利用して生成され、生活に必要なガスとして利用するものです。土嚢によって密閉されるおおきなタンクのようなものをつくり、その中に糞を貯めて発酵させることでメタンガスを発生させるそうです。エコビレッジの住居においても、この三成式土嚢バイオガストイレが採用されています。

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 これはトイレの外観です。写真は、三成さんと三成さんからトイレの仕組みについての説明を聞いている赤い所長です。このトイレはまだ実際に使用されていないそうですが、この小屋の下には直径3mほどの土嚢でできたタンクが地中に埋まっているのです。


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 内観写真です。タンク頂部のマンホールと便器です。便器下の排水管は直接タンクと連結しているので、糞尿が貯められるのがうかがえます。三成さんと赤い所長とのやり取りを小屋の外から注意深く耳を傾けているのは黒の研究員です。
 残念ながら、トイレの全貌を観察することはできませんでした。もっとも、建設中じゃなきゃ見られるはずがないですが。



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 次に、場所を移しまして、三成さんが勤務されている「おおち牧場」を訪問しました。そこは、飼料などに化学物質等を一切使わずに乳牛を育て、オーガニック牛乳を生産することを全国でもいち早く取り組まれた牧場だそうです。
 牛たちを至近距離で見ましたが、とても毛並みがきれいでした。われわれを見ると一斉に顔を向けて近づき、好奇心が強くとても人なつっこい牛たちでした。


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 牧場の離れでついにわれわれはバイオガスに直面しました。写真は糞尿ではないのですが、牛たちの無農薬飼料を発酵させている間に発生するガスです。大きく気球のように膨らんでいるのが分かると思います。牛の糞尿を発酵させると、もっともっと大量のガスが発生するそうですが、それを発酵する装置の建設等、ガスの有効利用の実現への道は一筋縄ではいかないのが現状だそうです。

 これら以外にも三成さんのご自宅や、有機栽培による手作りの蕎麦をいただける蕎麦屋さんを訪れ、御宿に住むみなさんの取り組みを紹介していただきました。

 三成さんをはじめとして御宿のまちに住む人々は、それぞれ自らが積極的にエコ活動を展開されていました。そのような人々が集まる素地が御宿にあるのかと思うとなんだか不思議ですが、自然に囲まれながら人々が精一杯活動する風景はとても魅力的でありました。


posted by 高橋俊也 at 15:59| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

東アフリカエコビレッジという第一歩。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。6月に入って、しとしとと雨が降る日が多くなってきました。どうやら早くも梅雨に突入したようです(ちゃんと気象情報を確認してないですが)。

 さて、昨日D研究所に冊子が届きました。
「A Model of an Ecovillage in the East African Community 」。
そう、D研究所が建築設計(集落設計)を担当している東アフリカエコビレッジプロジェクトに関してまとめた小冊子です。先日5月28日から30日まで横浜で開催されていたTICAD(アフリカ開発会議)で配布されたものです。

 プロジェクトの概要だけでなく、この実現支援に向けて、さまざまな方面の方々からの推薦文も収録されています。

 上の写真右側はウガンダ在日大使、H.E.Wasswa Biriggwa 氏が記された導入文です。そこにこうあります。
「もし、西洋諸国がわれわれの自然な発展を邪魔しなかったら、われわれは、どんな家に住んで、どんな暮らしをしていたんでしょう。そして、環境に適応したどんなテクノロジーをわれわれは発展させていたのでしょう」

 西洋諸国によって長い長い間、植民地だったアフリカですが、その時間が、もしアフリカが独自の発展をする時間であったならば、、。

 この失われた時間は、ここから回りはじめます。おそらく、いまだアフリカの底に強く流れ続けるであろう、彼らならではの空間と技術が重なってできる素晴らしい何かが目覚るはずです。


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 このエコビレッジ建設が、その第一歩となることを強く願っています。そして、この建設を進めることで、僕自身がまだ知らない大きな何かを見つけ、それが、わくわくするような環境形成のため空間となって創出されることになるのではと、予感しています。

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 このエコビレッジがこんな写真のように、すでにできあがったものとして記されているとき、いまよりずっと、わくわくできる環境がこの星を包むことを願っています。そしてそうあるようにD研究所は、日々、研究と実践を重ねていきたいと思ってます。
posted by 渡辺菊眞 at 14:12| Comment(2) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

5月末のD研究所

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 こんにちは。渡辺菊眞です。

 前から報告してますように、日本建築空間研究は大詰めに入ってます。上の写真は三佛寺の修理工事報告書です。小生、三佛寺の空間構成に関してまさに執筆中なのですが、その時頼りになる資料です。この他に三佛寺住職さんから送って頂いた配置図や、三朝町教育委員会から送って頂いた図面資料など数々の資料を見比べながら、解析を進め執筆しているわけです。

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 日本建築の空間研究をしているからといって、日本建築の資料ばかりをあさっているわけではありません。上の写真はヤン・ピーバー著の「迷宮」。西洋は基本的にはキリスト教という一神教の世界。しかし、その古層にはギリシア、ローマという多神教の世界があります。
それが、ある時代、ある場所でひょっこと顔を出します。西洋にとってはそれは異教的であり、空間的にいうと迷宮なのです。インドやアジアの多神教の世界もまた彼らには迷宮に映ります。そんな迷宮の空間的質に関して記述されてます。もちろん、日本の空間など彼らにとっては異教中の異教。そんなわけで彼らがとらえた多神教的空間の解析に触れ、それと当方が研究している日本建築空間の研究を照らし合わせたりしてるわけです。緑の研究員、高橋氏と精読しているため、本が二冊あるのです。

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 こんな研究とともに、東アフリカエコビレッジの模型制作も進めています。8月半ばには彼の地に飛んで建設を始めますので、その準備もおおわらわなのです。左に見える板は模型がのる台の一部(全部で1500ミリ角くらいになります)です。

 うん?左上に、黒いソックスが、、。そう、黒い研究員:江崎貴洋はフルスロットルで模型制作を続けています。しかし、この足の角度は何やら変です。ひょっとして倒れているのでは??

 黒い研究員、しばしの休息です。この日は真夏日、そして突然の夕立。そんな5月末のD研究所のひとこまでした。
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2008年05月19日

東アフリカ泥曼荼羅がすこしずつ。

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 ある私鉄電車内のなんてことない風景です。

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 何やら黒いジャケットに身をつつんだ人物が、黒い紙袋を携えて近づいてきます。その袋の中には、何だか白いものが、、、。中をそっとのぞいてみます。

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 これは、、東アフリカエコビレッジ(東アフリカ泥曼荼羅)の模型(
完成途上)です!!ということは、この黒い人物は、、

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 間違いありません。Dの黒い研究員です。実は彼、京都で「環境デザインスタジオ7+4」の運営をしつつ、泥曼荼羅の模型を進めるという、超多忙な身なのです。ですので、京都と奈良の間で極秘(?)に模型輸送しながら、完成へと近づけているわけです。

 完成まであと少し。すこしずつ変容しながら立体泥曼荼羅は奈良と京都を往復しているのです。あと数回往復し、全パーツを合体すればモデルは完成します。またその時には完成形をお伝えします。ではでは。

Dの赤い所長 渡辺菊眞
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2008年05月14日

ミースをハメル。-後編-

さて、今回は「ミースをハメル」後編です。ファンズワース邸がとてもハメられなそうな敷地が目の前にあらわれて、半ば悲壮な面持ちのメンバーだったわけですが、それでも各自、何かハメル方法の欠片(かけら)を見出しつつ、制作会場である滋賀県立大学へと向かったのでした(実際は、そんな悲壮な感じではなく雨の中でも楽しんでました)。

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 ちなみに上の写真で皆の先頭を切って闊歩するのは当研究会主催のひとり、高橋渓くんです。

 さて、滋賀県立大学に戻り、ここから制作をはじめます。いよいよミースを場所にハメルわけです。ここで場所にハメルために守るべきルールを少し。

 ルール01 元ネタであるファンズワース邸がもっている部材の総量は保持します(通称「質量保存の法則」)。

 ルール02 ルール01を前提にして、ファンズワース邸を切断、回転、積層などの形態操作を加えるのは可です(回転した場合、スラブが壁へと変換されることもあります)。

 ルール03 ルール01の「質量保存の法則」を原則厳守としますが、例えば積層させた場合、どうしても必要となる階段などを付加するのは(必要最小限に限り)可とします。

 ルール04 造り上げる建築の機能は住居です。単なるオブジェは不可です。なおそこに住む住民の数は、原案以上とします(例えば、ファンズワース邸の場合は原案の住民が一人なので、新たにハメル住居の住民数は一人以上となります)。

 さて、このルールのうち、最も規制力があるのが01の「質量保存の法則」です。部材総量を保持させながら形態操作するには、形態を分解する際にも常に総量を頭にいれておかねばなりません。かなりキツイのですが、逆にこのルールがあることで何でもありなユルイ状況に陥るのを防いでいるわけです。

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 制作会場には、1/100の敷地模型と、同じく1/100のファンズワース邸が並んでおいてあります(即日設計集団=三巨匠場所ハメ委員会のみなさんの制作です)。上は敷地模型です。皆、これらを確認しつつ、設計を始めます。設計時間は11時半から16時半までの5時間です。この間に1/100のラフ模型と、図面やコンセプトなどを記載したA3サイズのペーパーを完成させねばなりません。みな、必死です(みな必死ゆえにこの制作現場の写真はありません)。

 5時間は長丁場ですが、実は時間は刻々と過ぎていき、あっという間に終了時間がせまってきます。イヤな汗をかく時間帯へと突入します。そしてとうとう終了です。

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 計11のハメル・ファンズワース邸が何とか完成しました。体力残量はほぼナシです。

 ですが、ここから休む間もなく、制作者によるプレゼンがはじまります。

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 みな、中央テーブルにおかれた模型と、図面などを食い入るようにながめながらプレゼンに耳を傾けます。各自が思ってもいないようなさまざまな着想があったことに驚きます。

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 上はプレゼンの一コマ。半地下になって、テラスが目の高さくらいの屋上として浮上している案です。座って模型を見つめるのが県立大学の頼もしいOB中川くん。その背後でヒゲをなでて眺めるのが当会主催のひとり中浜くんです。

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 プレゼンのもう一コマ。一階部分に共用のテラスが現れ、上層にガラスの部屋がぽこぽこ浮かぶ案の説明。周辺住宅の外壁がこのテラスへと導く壁として表現され、バルセロナパビリオンの壁のように見立てることもできます。

 この他に全体を短冊状に分節して、それをずらしながら再構成を試みる案、上方、下方を含めて、六方向すべてにファンズワース邸のシークエンスが現れる案、一枚のスラブ性の保持と多層階化の両立をはかるためにスラブを一枚のスロープ化にした案など、さまざまな案が提示されました。地面にファンズワース邸を斜めに突き刺した案なども。

 全員がプレゼンを終えた後、4つの観点から、自分以外の人の案の採点をつけます。1観点25点。計100点満点で、ついた点数はとってもリアルです。今回は11人いたので自分を除く10人の点数をつけることになりました。なので合計点数は1000点満点。とてもセンター試験ばりのリアルさです。人の作品をある観点から分析、評価することで、一番ためされるのは採点する自分自身の批評眼です。つける方がたいへんなわけです。下はホワイトボードに各自の採点を合計して書き出している風景です。各自につけられた点数にいやがおうにも緊張感が走ります。

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 さて、今回はワークショップの流れのみをざっと紹介してきましたが、ミースを場所にハメようとして何が見えたのか。本当はここが重要なわけです。これについては各自が後日レジュメをまとめ議論する場が設けられます。ですので、これについては後日、あらためて報告いたします。

 無理にヒッパリたいわけでなくて、それくらい内容が濃い研究会なのです。細切れの報告ご容赦ください。
posted by 渡辺菊眞 at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月12日

ミースをハメル。-前編-

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 こんにちは。渡辺菊眞です。先日、お知らせした「三巨匠を場所にハメル」即日設計ワークショップの第一回目が、5月10日に滋賀県立大学にて開催されました。第一回目は「ミースをハメル」です。

 巨匠ミースの珠玉の傑作、ファンズワース邸を彦根の一画にハメ込み(場所にハメル)、そのことでミースをもハメて(巨匠をハメル)あわよくば、近代を乗り越えようという壮大な企画です。

 さて、ファンズワース邸はご存知のように上の写真のようなものです。住居ではありますが、ほぼ神殿といっていい構成美を誇ります。
そして、この「近代神殿」を彦根のどこにハメルのかというと、、、。

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 嗚呼。こんな場所(彦根城の内堀と中堀の間の孤島のような住宅地)にです。全然ハメられなそうです。このハメル建築とハメル場所との、あまりにも落差に即日設計集団(三巨匠場所ハメ委員会)のみなさんも、どこか悲壮(?)な表情で敷地を見つめています。

 印象の落差だけでなく、物理的にも相当な工夫をせねば、ここにはハメられません。ファンズワース邸は住居部分ですら23.5メートル×8.5メートル。一方、この敷地は奥行き12.5メートル×間口7.5メートルしかありません。この敷地にテラスも含めてハメルとするとかなりの力技が必要です。

 しかも、ただ物理的にハメルだけでは仕方ありません。場所とクロスさせることでファンズワース邸の隠れた魅力や限界をも露呈させて、それを乗り越えねばなりません。乗り越えてこそ巨匠ミースをハメたことになるのですから。

 さて、この厳しい戦いの行方はどうなったのでしょうか。その模様は後編にお伝えいたします。

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「ハメれるものならハメてみよ」という、(にくたらしいほど)余裕の巨匠です。目もあわせてくれません。

追伸、建築家の写真が横向きや斜め45°なんかが今でも多いけど、そんなところにまで巨匠の影響が、、。全然だめやん現代。そろそろ乗り越えんと。
posted by 渡辺菊眞 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

やすりみがきのたくみ

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 こんにちは。渡辺菊眞です。新緑がまぶしい季節になりましたね。
当研究所からの窓から見える大きな木の葉もとてもきれいな緑で風に揺れてきらきら光ってます。

 うん!?窓の手前になんだか乳房のようなものが見えます。もちろん乳房ではありません。ではいったい?

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 これは東アフリカエコビレッジの住戸の模型です。実際には土嚢を何層もリング状に重ねてつくることになるのですが、模型の場合もスチレンのリングを何重にも重ねてつくります。

 そのままだと階段状ピラミッドっぽくなるのですが、これをやすりで磨いて磨いて、継ぎ目がなくなるまで磨き倒します。

 当研究所の黒い研究員は磨きの匠です。彼にかかるとどんな階段も段差をなくしなめらかな曲面へと錬成されていきます。

 今年の8月末には現地で、建設に入ります。そこへ向けて、いま新緑まぶしい奈良で、黒い匠、江崎貴洋は磨いて磨いて曼荼羅集落模型を造り上げるのです。本気の彼は髷を結って「磨く侍[samurai]」と化すのです。

 5月の連休明けには完成予定です。
posted by 渡辺菊眞 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

三巨匠をハメル。ある研究会の発足

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 こんにちは。渡辺菊眞です。前回から少し間があいてしまいました。その間に奈良は桜の花も散って葉桜の季節が到来です。

 さて、そんなぽかぽか陽気の中、本日は研究所に滋賀県立大学から二人のお客さんがやってきました。

 布野研究室修士2年の高橋くん(写真左)と中浜くん(写真右)です。

 来月から開始予定の研究会の企画打ち合わせのため、はるばる奈良の研究所に来訪してくれたのです。

 「研究会って何?」って感じですが、ザクッというと即日設計競技会の短期集中開催です。一日でフィールドワークから設計(しかも模型付き)まで一挙にやってしまうわけです。

 さて、その内容ですが、「三巨匠を場所にハメル(仮称)」です。
三巨匠とは、ミース、コルビュジェ、ライトの近代建築のお偉いさんです。

 どこでも展開伸張可能なユニバーサルスペース。これはミースさんの発明品です。ミースさんに限らずコルビュジェのサヴォア邸にしても近代の住宅名作は四周からながめることができる、ある種の理想状態の中に建っています。そこに観念としての(方眼紙が無限にひろがっていくような)「どこでも展開できる」性を感じます。しかし、これらは本当に地球上のどんな場所にでも展開できるんでしょうか。というわけで、彼らがすっごい嫌がるであろう具体的な生々しい敷地に、彼らの作品をハメ込んでみます。当然うまくいきません。ではどうしよう。ってなわけでいろんな方法(まだ秘密)を駆使して名作を改造していきます。さて、その後にできたものはというと、、。

 なんていうことを真剣にやってみようという会です。近代が切り開いた建築のカタチと、場所のカタチがクロスするとき、何が発生するのでしょうか。

 そんな問題意識を共有しつつ、スケジュールや設計課題の立て方、敷地の選定、相互批評の方法など、もりだくさんな内容を議論しながら決めていきました。

 何とかまとまり、ひと安心。来月から始まるこの会(滋賀県彦根市で開催します)。いまからとても楽しみです。ちなみに僕は講師として参加します。

 会についてはまた改めて報告していきたいと思ってます。

 ではでは。今日はこの辺で。

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posted by 渡辺菊眞 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

「竹の子学園」木原伸雄塾長から

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 昨年、広島土嚢ハウス(「ハッピーハウス」)建設でお世話になった「竹の子学園」の木原伸雄塾長から、お便りと本が届きました。

 「出会いに学ぶ生き方の極意」。
人との出会いを何よりも大切にされ、そこからさまざまなことを吸収し自らの実践へと展開され、人間としての素晴らしき生き方へと昇華させておられる木原さんの想いがつまった一冊です。じっくり読ませていただきたいと思ってます。

 「竹の子学園」では「ハッピーハウス」周辺整備を4月から、塾生の子供たちとともに開始されるそうです。周辺整備設計も当方がおこないました。

 「ハッピーハウス」の土嚢ドームと対をなして渦巻くような全体計画です。木原さんのblog「続 世相藪睨み」でも 、この計画について取り上げておられます。

 日本初の土嚢ビレッジが彼の地で実現することを僕は信じております。ハッピーハウスの渦巻きで駆けめぐる子供たちの姿を見るのを今からワクワクしています。

 
posted by 渡辺菊眞 at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

D研究所レポート その2

 年度初めということで、バタバタし始めてきましたね。
 みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、きょうのD研究所はというと、、、

 日本建築空間研究会を立ち上げ日々研究を行っているようすを、先日レポートでお伝えしましたが、


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 この日ついに、三徳山三仏寺の住職より当研究所の所長宛に、大事な大事な文書が届きました。これは当研究会になくてはならない材料となるはず!?です。


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 そして、住職の思いを受け止め、なんだか深刻な顔をしているのが緑の研究員の僕です。


 研究からかたちへ。研究会は日々着々と進んでおり、その内容は確実に進化しています。

 それではまた。

posted by 高橋俊也 at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月31日

D研究所レポート その1

日本は春をむかえました。
国内では、分厚いアウターはもう必要ない季節ですね(^▽^)
みなさん如何お過ごしでしょうか。

奈良に研究所が移転して初レポートです。
さて、きょうのD研究所はというと、


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!? 赤いペンに・・・


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!? 緑のペン・・・


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間違いなく赤い所長と緑の研究員ですね。
きょうは終日、日本建築空間研究会議でした。


国内と国外・・・
D研究所は現在急ピッチに複数のプロジェクトが動いています。
とても忙しいので、なかなかブログも書けないのですが・・・

今日は、このへんで。
posted by 江崎貴洋 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

古墳から渦巻く-少し未来のための備忘録-

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この写真は大阪府太子町にある叡福寺の山門から、真っ正面を撮ったものです。えらくガランとしてて、中心が空虚な感じです。

 奥にこんもりとした森が見えますが、これは聖徳太子の墓とされている古墳です。この古墳を原点とし、これを守護するために寺が造営されたので、中心線を「お墓軸」として明け渡して、本堂や多宝塔などの寺院建築要素は境内隅っこに位置しています。というわけで中心は空っぽな感じなのです。

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 さて、この中心線の奥に古墳があるわけですが、これは円墳で、その石室へ至る入り口に上のような覆屋がかかってます。

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 円墳回りには石畳の巡礼路のようなものがあり、さらにその外側は山の斜面となります。

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 この山の斜面には円墳を中心に、同心円状にお墓が設置されています。

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 それはどんどん山の奥、そして周辺まで広がっていき、

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 最終的には巨大な現代的墓地へと拡散していきます。
古墳を原点に、それを死者の場所の中心として、渦巻くように外へ外へと墓が無限増殖していきます。

 寺院のゾーンはその中心を墓にゆずって空洞を保持しつつ、空洞を中心にその周辺に建築が散在します。中心空洞からの斥力により押し出されたかのように。

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 現在、日本建築空間構成の研究は大詰めです。これはもうすぐひととおりの完成を見ます。その後、葬送地の空間研究とクロスさせながら、再度、日本空間研究を深化させたいと思ってます。これはそのための備忘録です。

 D研究所は聖域研究と葬送地研究を今後も進めていきます。極めて建築的で、しかもココロの問題が大きな比重をしめる空間だと思うからです。環境を問うことは、それを感受する人のココロの在り方を問うことでもあると思っています。

 渡辺菊眞
posted by 渡辺菊眞 at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月04日

事務所移転しました。

 こんにちは。だいぶんご無沙汰になってしまいました。

 2007年1月1日にD研究所を開設したので、もう1年がとっくに過ぎたことになります。にも関わらず、ご無沙汰な感じになってしまっていたのは、年末から年始にかけて大阪の事務所を奈良に移転するためとてもバタバタしていたからです。

 2008年に入って一月余り、ようやく落ち着きました。これまで研究所=奈良、事務所=大阪でしたが、これからは事務所と研究所を一本化してともに奈良を拠点といたします。

 D環境造形システム研究所の研究所・事務所の住所は以下のようです。
〒631-0823 奈良県奈良市西大寺国見町1-5-1-404

 2008年は、D型の環境建築(地球環境にじゅうぶん配慮し、しかもとってもワクワクするような建築)の構築を主にすえながら、そこから広がるさまざまな研究活動を展開したいと思っています。

 今後ともよろしくお願いいたします。

渡辺菊眞 江崎貴洋 高橋俊也

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posted by 渡辺菊眞 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

エコビレッジ国際会議2007年レポート

 こんにちは。渡辺菊眞です。しばらく謎のウィルスに感染してポンコツ状態(身体の部品を数カ所なくしたかのような状態)に陥ってましたが、ようやく体調もよくなってきました。

 本日はお知らせです。先日報告させていただいた「エコビレッジ国際会議TOKYO2007」のレポートが、同会議を主宰されたBeGood Cafeさんのホームページ上で公開されています。

 前回の記事で、エコビレッジに関するさまざまな立ち位置があるといったようなことをコメントいたしましたが、このレポートをのぞいてみるとそれがよくわかるかと思います。

 是非、御覧になってはいかがでしょうか。

 この会議で発表させていただいた東アフリカのエコビレッジプロジェクト、日に日に目まぐるしく多方面での展開があります。まずは概要だけでも、Dのホームページで早く公開できたらと思いますので、楽しみにしていただけたらと思っております。
posted by 渡辺菊眞 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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