2016年02月02日

高法寺の地空庵

こんにちは。渡辺菊眞です。

前回、正月に新年のご挨拶をしてから、早くも1月は去ってしまい、2月が到来。
毎年思うことですが、年度末というのは、気付けば過ぎ去ってしまうような時間です。
そんな時空にふりまされないよう、気をつけたいと思います。

さて、今回は昨年の秋からコツコツと進めてきている高知は高法寺の地空庵建設を
ご紹介したいと思います。

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上は完成時の全体予想図。木造の切妻屋根の下に丸い空間がドンと構えています。

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 しかし、いざ、この中に入ると実は丸いドンとしたものの中は庭になっており、その上に小さな空間が浮かんでいるのがわかります。

 地空庵とは、土嚢壁に包まれた丸い庭の上に浮かぶ4畳半程度の茶室的空間です。日常の喧噪を離れてここで過ごしながら自己省察をする場所が目指されます。地空庵のある高法寺の住職、玉城秀大さんの発案で計画が進みました。玉城さんはタイの「虹の学校」の代表で、私がその学舎:「天翔る方舟」を設計した時からのおつきあいです。今回の直接的な動機は、「方舟」のような空間を日本に設け、設備も何もないなかに豊かな空間だけがある、そういった場所に身をおきながら、自分を見つめ直す経験をみなさんにしてもらいたいという玉城さんの願いからでした。

 昨年末にはみなさんの多大なご協力のおかげでクラウドファンディングの目標も達成し、その力もしっかり受け止めながら建設に励んでいます。

 今回は秋から現在までの建設模様を駆け足で紹介いたします。建設は高知工科大学環境建築デザイン研究室(渡辺菊眞研究室)の3年〜修士1年のメンバーと私、そして、ありがたいことにボランティアの方にも手伝っていただいてます。

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 土嚢の建築はいつもここから。大地に中心を定め円を描きます。人間が自分の場所を定める、おそらく太古からあったであろうことを追体験します。

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 土嚢につめるための土を混ぜる。これは重労働かつ、とても大切な工程です。

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 入り口の型枠を設置し、土嚢を円環状に一段づつ丁寧につみあげていきます。写真は7段目完了時点。
土嚢壁建設は合宿形式で1週間、お寺で寝泊まりをしてここまでたどり着きました。

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 その後、11段目をつみ終わり、土嚢壁建設は終了。

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 屋根の骨組みとなる単管工事へと以降します。

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 年末に骨組みは完成!メンバーと記念撮影。

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 今年に入り、単管骨組みに屋根下地となる垂木を設置する工事へと入りました。まずは屋根をかけてしまいます。

 平日は大学の講義があるので、建設は土日に行うことしかできず、少しずつしか進みませんが、それでも一度の現場が終わるごとに形がクッキリ見え始めてきています。年度末の完成を目指してこれからも頑張っていきます。

 また、進捗あり次第、報告いたします。お楽しみに。

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2013年07月19日

雪の中の産泥神社と、その時の灼熱の。

こんにちは。渡辺菊眞です。この時期にいつもかかる体調不良にいまだ苦しんでいます。情けないことです。治った暁にはこの間の停滞を一気に払拭したいと思います。

さて、いまは季節は夏本番ですが、今回は雪景色のお話。2月のとある日の産泥神社の情景です。

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2012年の春先に建設がはじまった産泥神社は6月末に完成。その後、7月のオープング、秋の日のトークイベントと続き、春、夏、秋と季節が移り変わる中で神社の情景も次々と姿をかえていくのを見てきました。12月のクロージングの後、諸事情あって、3月までは存置させていただきました。そして3月の解体時、春がおとずれんとする、まさにその時に神社とはお別れしました。

そういうわけで、冬季だけは見るチャンスがあったにも関わらず訪れることができず、ずっと気がかりではありました。ただ、その間にD研究所メンバー、高橋俊也氏がひとしれず探訪していたのです(だいぶんあとに探訪を知りました。。)。間接的ではありますが、その様子を語ってもらい、写真ももらいました。今回はそれを紹介いたします。

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冬の新潟のグレーな薄雪の中の拝殿。色彩はなくなり、モノトーンな亀裂の光だけが差し込んでいます。奥には雪がつもった本殿が垣間見えます。

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本殿の真上の穴も静かな白い空。

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本殿を抜けると真っすぐに続く雪の道。その向こうには柳都大橋の亀裂が続きます。

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雪の中の産泥神社、全景です。

こんな風に、とても静かなモノトーンのなかに佇んでいたことを知り、なんだか感無量となりました。自分が制作した作品なんていうのではなく、ここに住んでいる生き物のを見るような、そんな想いです。

さて、この時期、何故、産泥神社に探訪できなかったのか。それはこの時期、タイの孤児院「天翔る方舟」の建設に入っていて、それにかかりきりだったからです。

水と土の芸術祭のクロージングのまさにその日、タイに入り、建設を始めました。産泥神社の写真が撮られた、この時期、タイは灼熱で、土嚢ドーム部分の建設がちょうど終わろうとしていました。

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雪の中、産泥神社はただ静かに佇み、その一方で「天翔る方舟」は灼熱のなかでどんどんその姿をあらわしていました。

「天翔る方舟」の建設は本当に佳境。時は廻りながら進んでいきます。






2013年04月06日

さようなら産泥神社

こんにちは。渡辺菊眞です。


今日の高知は雨降りでお昼過ぎには近所の桜は全て散ってしまっていました。春の雨降りも、なにかをボンヤリおもって過ごす日にとっては、とてもいい時間です。

さて、今回は先月末に行った産泥神社の解体のお話です。新潟には3月24日に入りました。昨年4月に建設をはじめたので、この地に産泥神社は1年間在り続けたことになります。

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今回の解体の前に当地を訪れたのは10月13日の「産泥談義」以来。この日は奇麗な秋空でした。

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舞踏家の堀川久子さんがこの場所を踊り、

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その後、本殿内部で小生のトークを行いました。7月に建物は完成しましたが、この秋をもって、ようやく完成したんだと感じた瞬間でした。

その後は、12月のクロージングにもうかがうことができず、とうとう解体日となってしまったわけです。正直、愛着のある建物をただバラすだけの作業。体調を崩していたこともあって、小生も所員の片岡も、さらに手伝いにきてくれた渡辺研究室の学生2名も気が重たい状態でした。

しかし、解体当日、産泥神社に関わりのある、思い出深い方たちが次々と現場に到着。何だか言葉にならない身体の奥に響く感動につつまれました。それもあって、建築の時に勝るとも劣らぬ盛り上がりを見せました。本当にうれしい時空に包まれたのです。以下は解体の模様です。

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まずは、外皮の芝と波板をはぎます。久しぶりに土嚢そのものに戻った産泥神社です。この後はとうとう土嚢ブロックを上から解体していきます。

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解体が進むに従って、高かった空は低い位置に降りてきて、その大きさを広げていきます。空は大きな空へと少しずつ戻っていきます。

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解体して土嚢から取り出した泥の固まり。堀川さん曰く「何か巨大な生き物の糞」だとのこと。確かにそんな感じです。

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解体はどんどん進んでいき、時計を逆回しにしたような風景が展開していきます。

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けれども、単なる逆回しではなく、建設時には見られなかった新たな空間もあらわれたりしました。

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例えば、こんな空間。本殿の土嚢がどんどんなくなり、半円形の場所になってしまってますが、こんな状態は建設中には見られません。不意に表れた劇場空間。何だか居心地がよく、楽しい時間を過ごしました。

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そんな劇場空間もどんどんなくなって、とうとうこんな状態に。

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そして、最期の土嚢ブロックをトラックに投げ込みます。

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もともと空地だった場所はふたたび、ただの空地に戻ってしまいました。

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10月に訪れた時に産泥神社は完成したと思っていました。でもそうではなかったことに気がつきました。思い出を共有してくださった方々が集い、神社を壊していく。その風景はある種の祭礼のようでした。

一時、此処に在った異物はいつしかなくなり、柳都大橋の隙間はまたポッカリ空いた空地に。でも、何か、いままでない、面影としてかすかな記憶として、この新潟の地に残ってくれるのではないかと信じています。

この空間と、時間と、ここで想いを重ねた方々と。本当にありがとうございました。

そして、最期に。さようなら、産泥神社。

2012年05月09日

産泥神社建立日誌02-土嚢積みはじめ(4/28+4/29)。

こんにちは。渡辺菊眞です。

今回の日誌からはいよいよ土嚢積みに入ります。まずはその最初のご報告です。

1、4月28日 積み始め。

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土嚢建築の作業は大きく二つに別れます。ひとつは土と若干のセメントをしっかり混ぜて土嚢に入れる作業(これを「混ぜ」と呼びます)。もうひとつは土嚢を整形しながら積上げていく作業です(これを「積み」と呼びます)。

「混ぜ」は簡単そうに見えますが、とても大変です。だまになった泥をくずしつつセメントと均等に混ぜなければいけません。この作業がいい加減だとどんなに「積み」の腕がよくてもしっかりとした土嚢ブロックにはならないのです。

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一段積上げるごとに、「胴突き」で叩いて水平をとります。この日は多くの市民ボランティアのみなさんとともに2段積上げました。

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2、4月29日 

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この日から渡辺研究室の4年生が3名合流。市のスタッフとボランティアのみなさんとともに土嚢建築を継続します。

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この写真ではわからないですが、土嚢は一段積上げる(土嚢リングを作り上げる)ごとに有刺鉄線を二周回します。これにより地震などの横揺れに抗する耐震性が生まれます。

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この日から土嚢積みと並行して、土嚢壁面に仕上げとして打ち付けるロールプランター(超薄型軽量緑化ユニット)の製作も行いました。ロールプランターは金沢21世紀美術館展示「Good House」の時と同様、ミツカワ株式会社さんからご提供いただきました。今回は大規模なので400弱のユニットをつくります。

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日がくれはじめてきました。この日は新たに2段、計170個を積上げました。

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土嚢建築は土嚢ブロックによる組積造。なので、ずっと同じ作業の繰り返しです。線材によって柱、梁と役目を違えて架構する木造建築とは対極にあるものです。日本人にとってはほとんど馴染みのない工法なこともあり、この単調さは過酷でもあります。でも、全てのブロックが等価の力を受け止める構造材となる組積造にはなんともいえない魅力があるのも確かです。

これ以降はどんどん土嚢が積み上がっていくさまを紹介していきます。
今回はこれまで。









2012年05月03日

産泥神社建立日誌01-準備作業0423-0427

こんにちは。渡辺菊眞です。

新潟にきてから早くも10日あまり。現場も随分進みました。とはいえ、活動拠点にネット環境がなく、毎日かくはずだった日誌もかけずじまい。そこで当初の予定とは違いますが、ある程度まとめて報告させていただきたいと思います。

今回は、土嚢を積むまでの準備作業のご報告。

1、資材の搬入。

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準備作業の初日。セメントはじめ、大量の資材が運ばれてきました。手前がセメントですが、土嚢につめる土はこの20倍の量、およそ60トン必要となります。わかってたとはいえ、目の前の物量の多さに圧倒されます。

2、建具の製作。

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土嚢を積む前にまずは建具を製作せねばなりません。建具は存置型。通常は建具は土嚢ドームにあける開口部に仮枠をはめて、積上げ後に仮枠をはずして取り付けるのですが、今回ははめっぱなしの建具にします。まずは木材のカットから。

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建具をつくりきってしまうと移動が大変なので、くみ上げは建設現場のそばで。

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くみ上げたあとは屋根をしあげて、ひとまずは作業終了。

3、墨出し。

次はいよいよ墨出しです。大地に神社の芯線をガリガリと刻みつけます。小生はこの作業がとても好きです。
何もなかった場所に中心がうまれ、風景が異化されるからです。建築する意志がもっともシンプルに、そして力強く現れる瞬間です。

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まずは、柳都大橋ができたことでうまれた都市軸の延長するラインを刻みます。このラインが神社の主たる骨格となります。

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円弧壁の中心にはすべて杭をうちつけます。不思議な地上絵があらわれはじめます。

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墨出し完了。いよいよここから空間がたちあがりはじめます。その模様はまた次回に報告いたします。

 ちなみにこの準備作業、小生とD研究所・高知の片岡、あとは高知工科大学の学部4年の二人の計人でおこないました。これ以降は後発隊の学生、市の芸術祭推進科のみなさん、そしてボランティアのみなさんとともに建設をおこなっていきます。





2012年04月27日

産泥神社建立日誌00ー「鎮座の地」についてー

こんにちは。渡辺菊眞です。

 早いものでもう4月も終わろうとしてます。現在、「水と土の芸術祭」にて「産泥神社」を建立するため、新潟市に来ています。高知をたったのは4月20日過ぎ、高知はすっかり桜が散って葉桜の季節に突入。一方、新潟に来ると桜が満開で、今年は二度も桜を楽しむことができました。

 さて、いまから5月末にかけては、「産泥神社」建立に尽力します。かなりタイトなスケジュールではありますが、それゆえに日々、建立風景は大きく変化していきます。そこで、その日々の建立風景を完成まで日誌形式でお伝えしたいと思います。

 まずはそのゼロ回目として、神社の鎮座地(敷地)について簡単にご紹介します。

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 敷地は信濃川河口にかかる柳都大橋の西詰め。そこにぽっかり空いた空地です。この橋はごく近年に建設されたもの。その前にここには「まち」がありました。大きな道路や大きな橋が架かる時、これはどこでも同じことですが、そこに在った「まち」の風景に巨大に異物が貫入して、「まち」をまっ二つに引き裂いてしまいます。ここでも町は南北に引き裂かれ、かつてあった生活道路も分断されてしまいました。そんな「まち」をかき消した橋の隙間が敷地なのです。

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 この橋は2本の高架橋からなり、この敷地はその隙間。まさに不意にあいたエアポケットのような場所です。橋の隙間は川の上で真っすぐ伸びて、新たな都市軸を生み出しています。

 都市というものは常に更新を続けています。そこに折り重なった「変化の地層」は果てしなく、それなのに、日々は何事もないかのように続いていきます。昨日あったものがなくなってしまったのに、そこにあったものさえ思い返すことができないほどに。。。そしてその地層の根源にあるものですら、もう霞んで消え入りそうなのです。この都市、新潟でいうならば「水と土との飽くなき闘い」という根源層が霞んで薄れて、、。

 そこで当方が思ったのは、都市変化の大きな瞬間(柳都大橋の建設)に、不意に現れる空隙に「かける」ことでした。緩慢な都市更新ではなく、劇的変化の狭間では、緩やかな日常感覚の連鎖が切れるであろう。そしてそんな場所ならば、日常の皮膜をぶち破って、その奥底に隠れて埋められて眠っていた古層の記憶が蘇るであろうと。

 そんな思いが「産泥神社」建立のはじまりです。不意に空いた場所に一時、寄り添って、その中核にドロドロの空を孕む場所。ここから、忘れてしまった根源的な何かが蘇ることを切に願っています。この場所が全てのはじまりなのです。。

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都市の隙間は真っすぐ伸びて対岸へ。神社で圧縮された空間は都市軸となって虚空へと消えていきます。

2011年12月02日

新潟「水と土の芸術祭」01 現地視察

こんにちは。渡辺菊眞です。

 高知はここしばらく、へんに生温かい日が続いていましたが、昨日から強風が吹き荒れて一気に寒くなりました。あわただしく過ごしていて、体力も落ち気味なので、体調崩さないよう気をつけたいと思います。

 さて、先週末の11月26日と27日に新潟市にいってまいりました。来年7月から開催の「水と土の芸術祭」での作品制作に向けた現地視察です。新潟はもともと見渡す限りの湿地帯で、人が住める場所ではなかったとのこと。現在は日本海側最大の都市として栄えていますが、その底には人々の長年にわたる、土と水との格闘、それと同時にそこからたくさんの恵みを受け取った歴史があるわけです。この芸術祭ではそんな新潟の底にあるものを、アートを媒介にあぶりだしていくことが目的とされています。また「3.11」以降、人は大地の上でいかに生きていく事が可能なのかを提示していくことも、ここでは問われます。

 小生は、土を詰めて積み上げて作る「土嚢建築」の建設を世界中で展開してきました。その活動を評価いただき、今回、この芸術祭に招待されることになりました。世界での土嚢の現場でもそうでしたが、地域により、文化風土が違います。なので、そこで構築する土嚢建築のありようもその都度変わります。今回は新潟。水と土との格闘の歴史が根元にある土地ということですが、それが現在、どんな風景となってあらわれているのかを、まずは身体全体で感じないといけません。また、その上で、どの場所を表現フィールドとして設定するのかも見極めなければなりません。そんな意味をもった現地視察でした。

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↑久しぶりの日本海。モノトーンな空に、荒い波。もともと日本海側にルーツがある小生にとっては、太平洋より馴染み深い海です。

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この日は午前中は曇天。寂しげな風景が、より寂しくうつります。

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午後からは天気が回復しはじめました。ここは、上堰潟公園。新潟には潟と呼ばれる水辺がたくさんあります。

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上堰潟公園から見た弥彦山。麓に弥彦神社がある聖なる山です。
上堰潟公園は市郊外の美しい風景。水と土が奇麗な調和を見せる原風景とも呼べる場所です。

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夕刻に訪れた、鳥居野潟。都市中心部のすぐ南にある潟。格闘の軌跡が見えないほどに発展し、脱色脱臭された現代都市を潟から見る風景。ある意味、上堰潟公園とは対照的です。

この他にもさまざまな場所をご案内いただきました。
個人的には、何気なく過ごしている自らの足下に、土と水でドロドロでグチャグチャな格闘の歴史が息づいていることを再度、感知できるような空間をつくれたらと考えています。

まだ、敷地やつくるものも確定してはいませんが、また進捗などあれば報告していきます。

それではまた。

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↑今回の芸術祭のメイン会場となる「ものあげ場」。ここはどのように変容していくのかも、とても楽しみです。







2011年07月03日

新しい「大地の家」

こんにちは。渡辺菊眞です。

今年は梅雨入りが早かったですが、そのぶん空けるのも早かったようです。夏の到来を告げる蝉の声が聞こえはじめました。
単なる予測ですが、今年もすごく暑い夏になりそうです。

さて、現在、D研究所では新たな「大地の家」(=earthbag architecture)プロジェクトの制作に取り組んでいます。
偶然ではありますが、その舞台は、また東アフリカの1国です。

1軒の住宅ですが、今年の夏から建設が始まる予定です。
現在基本計画を終えてますが、また現地の風景に触れることで設計が変容していくことが予想されます。
計画したカタチと風景に潜在するカタチの規定力が混じり合って、本当のカタチが生じていくことを期待しています。

ウガンダでの計画でもさまざまな変容がありました。今回はどんなことが起こり、最終的などんなカタチのものが立ちあらわれるのか。
自ら設計しておきながら、それが予想できないカタチに変容することも一方に頭にあります。すでにウガンダで経験済みとはいえ、やはり不思議な気分です。

また、進展があり次第、報告いたします。

それではまた。

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2010年09月29日

「いい家」第二期。連歌のはじまり。

こんにちは。渡辺菊眞です。

先日、金沢から高知へ戻ってきました。金沢は雨が多くかなり肌寒かったです。雨で煙ってグレーにしずむ風景がずっと広がっていました。高知に帰ってくると、こちらも完全に秋になってましたが、北陸とちがって色彩鮮やかで、日本海側がルーツの小生でも色があるのはいいものだと感じてしまいました。


さて、今回は高嶺格「Good house Nice Body-いい家 よい体-」の第二章「いい家」第二期制作についてご報告します。具体的な制作模様については、「Dのひだまり日記」で詳しく報じられてますので、ここでは少し違った視点からの報告にしたいと思います。

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8月の制作では、ヨルダンかと錯覚するぐらいの猛暑だったのですが、金沢はすっかり秋になっていました。

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上の写真は第一期の完成時のもの。今回はというと、

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このように土嚢建築の増殖が見られます。今回の増殖のメインは写真にある、土嚢ヴォールト(連結アーチ)屋根の制作です。土嚢建築は組積造ですから、アーチ、ヴォールト、ドームの3種の造形が要となります。ということで前回のドーム制作に続いて、今回はヴォールト屋根としたわけです。

ただ、ヴォールト屋根をどこに設置するか、そして設置されたヴォールト屋根と既存の造形物をどうつなぐかは、慎重に考えなくてはなりません。ここでまずい配置をしてしまうと、全体空間が一気に壊れてしまいますので。今回は土嚢ドームの入り口から90度回転した位置にヴォールト屋根を配置し、ここを土嚢ゾーンのエントランスにすえながら、ドームまわりの円弧空間をドームへの導入空間としました。

今回の制作期間では導入空間を演出する側壁が完成しなかったのが残念ですが、これができるとドームへのアプローチがぐっと魅力を増します。またヴォールト屋根造形と高嶺さん制作の廃材切り妻造形が45度の角度を振って並列することで鋼管部分と土嚢部分のキレのいいコンビネーションが生まれています。

D研究所では土嚢建築の工法だけではなく、個々の要素の配置術をずっと追求してきました。複数の土嚢建築の配置は、そのほとんどの場合が設計当初から綿密に計画しているのですが、今回の場合はすでにあるカタチを前提条件として、ここに新たな要素を付加しながら全体を再構成することになります。

既存のカタチから誘導されつつも、新たな全体として再統合される構成。これは連歌的構成です。D研究所の作品でいうと、広島で建設した「ハッピーハウス」と、インドの「土嚢の読書室」でこの手法を用いました。

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上の写真が「ハッピーハウス」です。この「ハッピーハウス」、ひとつのドームができたあとに、製作者のみなさんの夢がどんどん膨らんで、新たな増殖に至ったものです。この完成形は設計当初には頭になかったものです。現在はこの側壁の上を子供たちが走り回っているとのこと。とてもうれしく思ってます。

「いい家」は今回が第二期制作でしたが、11月にはタイからアーティストのOngさんがやってきて、この第二基のものを前提条件に新たな「何か」が増殖する予定です。この時には高嶺さんも戻ってくるので鋼管部分にも変化がおとずれるはずです。

この連歌的制作、今年末には一応の結末をみることになります。制作や設計の主体でありながら、それでも予想できない「何か」を孕みながら変化していく場所。ひとごとみたいですが、今後もとても楽しみです。

11月に入る前、つまり10月にもここは変化します。また、その模様はそのときに報告いたします。

というわけで第二期の報告でした。

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追伸、

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前回、こんな写真を紹介しました。

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実はこれ、こんなことになります。子供、大人問わず、大人気スポットであります。
ではでは。










2010年09月02日

いい家.外伝-窪んだ大地

こんにちは。渡辺菊眞です。

高知に戻ってきて数日たつのですが、土嚢疲れがまだとれきれず、体の芯がだるい日々が続いています。
早く疲労をぬききりたいものです。

さて、今回から幾度かに分けて「Good House いい家」製作にまつわる裏話を外伝として報告したいと思います。
具体的な作業風景に関してはD工房blog、「Dの日だまり日記」にて報告される予定です。今回は外伝の第一話として土にまつわるお話です。

土嚢建築は現地の土を袋につめて積み上げて作る建築です。この結果できた土嚢ドームは「盛り上がった第2の大地」といえます。そして土を提供した大地は当然窪みます。D研究所では、土嚢建築を考える時に「盛り上がった大地」だけでなく、この「窪んだ大地」も等価なものと考えています。「盛り上がった大地」と「窪んだ大地」は土嚢建築の正と負、陽と陰で、互いに切っても切れない関係なのです。

では、今回はどうかというと、「現地の土」の現地とは金沢21世紀美術館となってしまいます。美術館の敷地を掘ることになるわけです。4月に事前打ち合わせにきたときに、轟沈覚悟で美術館の方におうかがいしました「掘っていいですか?」。
当然ながら「駄目です」のお返事。はい、轟沈。
ただ、間接的でもいいから、どうあっても「窪んだ大地」が来場者に感じられるようになって欲しいという願いは消えませんでした。

というわけで、採取場の写真だけでもどこかに展示したいと提案したところ、これに関しては「そうすべきだ」という共感を得ることができました。

こういう流れの中、今回の作業中の一日を採取場見学にあてることができたわけです。

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今回の土は美術館から車で30分くらいの距離にある森本という地区で採取されたものです。土はとてもきめの細かい山砂。土嚢建築をつくるにはこれ以上ないような土です。上はその採取場の写真。ピラミッドのように幾何学的に屹立する崖とその上部で鮮やかにコントラストをなす樹々。

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掘られて「窪んだ大地」からは、また草が芽吹きます。この窪みの土が美術館に運ばれて、土嚢の家へと変容していくわけです。

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重機で掘り返された土を人力でドーム建築にするわけですから、そこにはすさまじいエネルギーが投入されることになります。

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この、採取場の写真、採取された土とともに、展示場の一角で披露されてます。(やっすーい)アルミサッシの扉(!)を開けると、そこに静かに佇んでいます。この設置場所、二転三転してようやくここにおさまりました。状況に応じてカタチがどんどん変化するそんな「いい家」製作現場の在り方をよく示す例のひとつです。

というわけで、今回は「窪んだ大地」のお話でした。





2010年08月30日

「いい家」第一期。

こんにちは。渡辺菊眞です。

昨日金沢から高知にもどってまいりました。高知の酷暑から少しでも逃亡可能かと思いきや。むちゃくちゃ暑かったです。金沢。ヨルダンと匹敵するかもです。

さて、今回の金沢行き、いうまでもなく金沢21世紀美術館、高嶺格「いい家」展製作のためです。8月18日に金沢入りで、26日にはとりあえずの完成までこぎ着けねばなりません。製作期間は一週間。とんでもなくスーパーハードなスケジュールです。

この「いい家」展、高嶺格さんと小生の共同製作なのですが、19日に金沢で高嶺さんと落ち合うまでは、ほとんど何も決めてませんでした。決めてたのは「よい体」展の写真撮影に使った鋼管足場を存置し、これを活用すること、土嚢ドーム設置の概ねの位置。展示場となるプロジェクト工房外壁に「客よせ土嚢ドーム」を置くということぐらいです。

製作は高嶺さんと小生、そして、この企画に全国から集まったボランティアスタッフのみなさん、最後にD工房の片岡佑介氏+高知工科大メンバーで行いました。人数はいるものの、一週間はやはり厳し過ぎ。しかし奇跡的に完成にこぎつけました。

具体的な製作模様などはまた改めてご報告しますが、今回は出来上がった「いい家」の見所を少しご紹介します。

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おそらく世界初の半分土嚢ドーム。頂部にそよぐ植物とガチャ目がチャーミングです。

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恐ろしくマッシブな展示空間。王冠を戴いた土嚢ドームと鋼管足場の頭デッカチキューブ。

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粗い外部と違って、静謐な土嚢内部空間。おなじみ胎内回帰の空間です。

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金沢で解体された家屋の廃材で覆われた空間の上部に浮かぶ「フラワーな」壁紙空間。その境界にはシンプルながら驚くべき仕掛けが仕組まれています。

8月28日から一般公開され、おとずれた人たちが活き活きと出来上がった空間を廻り歩くのを見て、ようやくホッとできました。子供たちがワーワー、キャーキャーいいながら夢中であちこちを走るまわる風景を前にうれしく感じました。

建築も、そしておそらく美術もそうですが、製作側のコンセプトとそこに投げ出された空間は、そのまま一対一で対応するわけではありません。制作側の意識とは関係なく空間体験者はそこを体験します。しかしそれはまったく別物ではなく、見えにくい「何か」でつながっているのです。もし、コンセプトそのものしか意識できないような場所になってしまったなら、ここにはお仕着せがましい、とてもとても嫌な空間しかなくなってしまっていたでしょう。そうではないものができあがったこと、要するに(製作側も含めて)「読めない何か」が漂う場所になったことに強い可能性を感じました。

何気なくひろがっていく均質な住宅風景を前にして、何かとても「インチキ」な匂いをかぎとった、その嗅覚に高嶺さんと小生が共鳴してはじまった展示会。会期終了の3月まではメンバーたちが作り続けて変わり続けます。おそらくこの第一期完成時では読めない何かが展開していくはずです。小生も9月には再度金沢入りします。

「いつの間にかパッケージ化され、カタログから選んで買わされるモノになってしまった住処(すみか)を、自分の手に取り戻すことを目指します」これが単なる言葉でなく、何か実感をともなったものとなって迫ってくることを、作り続けながら願いたいと思います。

それでは今回はこのへんで。








2010年08月05日

「いい家」説明会。金沢へ

こんにちは。渡辺菊眞です。

早いもので、もう八月に突入してしまいました。高知は基本、鬼のような猛暑の連続でしたが、ここ二日くらいは、いきなりの雨+強烈な晴れ間、の繰り返しです。なんだか大気が不安定なようです。

さて、少し遡りますが、去る7月31日に金沢21世紀美術館にて行われた高嶺格:「Good House, Nice Body」の第二章:「Good House いい家」の説明会にいってまいりました。以前から時々、このことに関して触れてきてましたが、美術家の高嶺格さんと共同で「いい家」を構想、製作しようとするものです。小生はそのうちの土嚢建築部門の製作を担います。

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上の写真は展示会のポスター。そして下の写真は、21世紀美術館本館。おなじみの建物です。

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さて、それはそうと今回の「いい家」って何なのか?ですが、、
家は根本的には外の世界から身を守り、そこで憩い、安らぐ住処(すみか)です。人間が生きるにあたって良くも悪くも根源的な位置にあってしまうものです。しかし、ある時から、そんな家がカタログから選んで購入するものになってしまっています(少なくとも我が国では)。そして一度購入すると長期のローンを組んでたいへんなことになって、にもかかわらず数十年で打ち捨てられてしまうこともよくあります。

人がいきていく場所=住処が、そんな様態でいいのだろうか?これがスタート地点です。昨年、秋に高嶺さんがD研究所に来訪された折に、酒を飲みながらこんな話をかわしつつ共鳴しあったわけです。

当然ながら、「いい家」がそのまま「土嚢のいえ」なんてことにはなりません。ただ、そこにある土を掘り返して、自分で積み上げて、ドーム(=胎内的な場所)を囲い込むという作業に熱中して、ある時にふと、「家って?」という気持ちがわきあがるのだと思っています。そんなきっかけになるひとつの工法として今回は「土嚢のいえ」をつくるわけです。

もちろん「土嚢の家」だけでなく、近隣の空家から廃材を得て、それをくみ上げて創る空間もあります。こちらは高嶺さんが主導して創り上げます(どんなものかはまだ未定!)。

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それらの「家」がこのプロジェクト工房の内部に少しずつ立ち上がっていくわけです。この無味乾燥な外壁にも何か内部からはみ出すような空間が付着する(?)予定です。

今回の説明会では、当方が土嚢建築部門の説明をしつつ、廃材などで作っていくものの「前触れ」を高嶺さんがスカイプ上で説明されました。氏の青森での最新作(とてもワクワクする建築作品です)も披露され、俄然会場のテンションも高まりました。

この説明会に参加した15名くらいが共同製作者(ボランティアスタッフ)として参加表明をされました。

 高知からのグループとしては、D工房の片岡氏が製作アシスタント、高知工科大学の学生4名が製作スタッフとして上記15名とは別に参加します。またD工房のある神母木でも土嚢建築庭園:「EARTH GARDEN」が少しずつですが立ち上がりつつあります(これは何年にも渡るビッグプロジェクトです)。

 金沢入りまで、あと少し。ふとした拍子に「家」がせまってくるような、そんな風景を彼の地に現出させたいと思ってます。

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 真夏なのに、やっぱり色彩の薄い北陸の空。子供のころ盆帰りしたときの風景がじんわりと迫ってきます。


2010年05月19日

土嚢研修2010

こんにちは。渡辺菊眞です。

今日の高知は朝から土砂降りです。土砂降りが持続力を持つのが「高知雨」なことが最近になってわかってきました。

さて、今回は先日天理大学でおこなった土嚢建築研修についてと、そこでぼんやり考えたことなんかをお伝えいたします。

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現場はここ。天理エコモデル・デザインニングセンター02。2008年のウガンダ渡航前におこなった土嚢建築研修の場所です。

今回は、高知での日本型「土嚢のいえ」モデル建設、そして金沢21世紀美術館での高嶺格氏による「いい家、よい体」の「いい家」(=土嚢建築を主としたインスタレーション)建設
に向けての研修となります。

研修の講師は河口尊さん。小生、土嚢建築にたずさわって今年で10年になりますが、その10年間ずっとパートナーを組んできた盟友とも呼べる方です。土嚢建築に出会ったのはふたり同時で、土嚢にさわりはじめたのも同時なのですが、プロジェクトをこなすうちに河口さんは土嚢建築施工技術者として、小生は土嚢建築設計+施工管理者として、専門が分化してきました。10年という節目の年に改めて土嚢をいちから積み直そうという思いがあって、個人的にはそんなことを考えての研修でもあったわけです。

参加したのは小生と、高知のD工房・工房長の片岡佑介氏、そして高知工科大学渡辺菊眞研究室の院生、寺本くんと小松さんです。

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まずは円弧状に土嚢を積んでいくオーソドックスな土嚢積みを鍛錬していきます。僕を除くと片岡氏、院生ふたりとも土嚢を積むのはほぼはじめてです。この基本をまずは覚えていかねばなりません。

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それを終えるとアーチ研修に移行。

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アーチトップのキーストーンをうめこんで、

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見事なアーチが描かれます。アーチの向こう側には河口さんの姿が見えます。

土嚢は組積造の一種です。そこからできる造形は大きくはアーチ、ヴォールト、ドームの三種に絞られます。そして原則的におなじブロックをひとつずつ丹念に積み重ねて全体を形成します。力の受け方は部位によって違うものの基本的に同じ単位をどんどん加算していくという気の遠くなる作業です。

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唐突ですが、これは研修の帰りによった東大寺南大門。大仏様の傑作です。貫が頭上をビュンビュン飛びまくります。多種多様な線材を架け渡して作り上げる空間。土嚢建築とはあまりにも懸け離れた構造方式です。

これら木造建築を支える原風景は「深い森の中」であるのは確かでしょう。
一方、組積造のドームやアーチは洞窟空間が原型にありそうです。

そういうと森を抽象化して木の線材で森を再現することや、石の積み重ねて洞窟的空間を再現することは奇異ではなくしごく当然にようにも見えます。

しかし、その一方で西洋のゴッシク教会堂は石造建築でありながら、その原風景は「深い森の中」です。それゆえ石造なのにもはや石は石に見えず線材のごとき振る舞いを見せます。かといってそれはあくまで石なのです。これはとっても脅威的です。ある意味、狂気ともいえるかもしれません。

小生は日本人ですので木造文化圏の人間です。「深い森」を線材で表現する側の人間なのですが、ひょんなことから土嚢建築をやることになり、異なった文化圏でそれを建ててきてもいます。この激しく引き裂かれるような異様といえる制作様態が、なにものかを生んではくれないか?そんなことを思っていたりします。

10年振りにいちから土嚢を積み直して、故郷で巨大木造建築を仰ぎ見て、そんなことを考えていました。


2008年08月15日

ウガンダ渡航0815-0916

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こんにちは。渡辺菊眞です。

 前からお伝えしてますように、赤い所長:渡辺菊眞は本日8月15日から来月9月16日まで、ウガンダにエコビレッジ住棟を建設にいきます。

 直前まで模型や図面作成に追われていたため、いままで荷造りがかかってしまいました。正直ヒヤヒヤものでした。冒頭の写真はエコビレッジ建設の敷地です。手前には前にもお話した蟻塚が見えます。土嚢につめるのにもってこいの土です。この敷地、今はまだただの草原ですが、ここから第一歩がはじまります。

 また帰国後にいろいろ報告させていただきます。というわけでいってまいります。

 ではまた、帰国後に。

D環境造形システム研究所所長 渡辺菊眞

2008年08月13日

住棟模型完成。東アフリカエコビレッジ。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。

 まだまだ暑い日が続きますが、もう御盆。日ざしの傾きが感じられすこしづつですが夏も終わりに向かっています。今日、今年はじめてのツクツクボウシ(夏の一番最後に鳴くセミです)が鳴くのを聞きました。

 さて、とうとう8月15日の東アフリカ渡航まであと二日。にも関わらず準備することが多く、ここ一週間は怒濤の日々でした。冒頭にある写真も、そんな主たる業務のひとつです。

 これは15日からウガンダで建設を始めるエコビレッジの住棟の断面模型です。縮尺は1/30。ですので高さが30センチ近くもある、なかなか巨大な模型です。僕、江崎(黒い研究員)、高橋(緑の研究員)はもちろんのこと、来年から研究員となる大阪市立大学の荒木くん(黄色の研究員予定)も交えて総動員で制作しました。「もっと早くつくっときゃいいのに」と思うくらいのテンパリ方でしたが何とか完成にこぎつけました。

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 インドで震災復興住居モデルをつくったり、小学校の読書室を建設した時もそうでしたが、建設に向けて一番伝達力があるのが模型です。これは建築専門家だけでなく、現地の一般住民の方にもわかりやすく、作るべき建築の魅力をダイレクトに伝えてくれます。
また、これがあることで完成までの建設モチベーションを保つことができ、とてもとても有効なのです。

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 今回の建設の最大のポイントは、天理で実際に研修をおこなってきた小ドームの上に大ドームをかける部分です。上の模型写真で大ドームの中に小ドームが顔をのぞかせてるのが見えるかと思います。

 今回はこの住棟をひとつ建設に行くわけですが、これもすぐに完成するわけではありません。小ドーム二つをきっちりと作り、そのあと大ドームをていねいに築きあげ、そこから放射状にのびる廊下に接続されたトイレやベッドルームなどのドームをつくっていかねばなりません。ドーム建設後にはトップに草葺きの屋根をふきます。これらが順番で少しずつ進んでいくわけです。その間の建設風景は刻々と変化していきます。

 大規模な重機の導入なしにゆっくりと建設が進む今回のような建設の場合は、刻々と変化する建設風景そのものがどの時点でも魅力的でなければいけないと思っています。ですので小ドーム建設の風景、大ドームを作るための足場がある風景、住棟ドームが完成した時の風景など、どの風景も素敵な絵となることに留意しています。

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 住棟完成したときはこんな風景なわけですが、この後、さらに3つの住棟を建設して一つのクラスターができます。

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 その時にはこんな風景が現出するわけです。ひとつの住棟を見ていたときには想定できないような風景です。

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 さらに建設が進んで3つのクラスターがそろってエコビレッジが完成するときにはこんな風景があらわれます。東アフリカ泥曼陀羅が彼の地に描かれるわけです。これも1クラスターだけのときには想像もできなかった風景です。

 この泥曼陀羅を目指してすこしづつ、すこしづつ建設が続いていくわけです。その第一歩をようやく踏み出します。まずはそのために現地にこのデカイ模型を運びこみます。サイズだけでなく、この模型が現地でデカイ役割をはたしてくれるものと信じています。

2008年07月22日

ウガンダ研修とウガンダ敷地。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。正式に梅雨もあけ、名実ともに真夏がやってきました。

 さて、天理大学で、毎週日曜日に土嚢積み名人の河口さんの指導のもと行われてきた土嚢研修も大詰めです。上の写真のように二メートルの小ドームに覆い被さる直径四メートルの大ドームを正確に積む研修だったわけですが、完璧な積まれ方です。

 単に大きなドーム壁を垂直に積むだけではありません。ある高さから大ドームも(ドームなゆえに)内側にカーブし始めます。そして、小ドームももちろん、先行してカーブします。二つのカーブをきちんと折り合わせて、小ドームの頂点に大ドーム壁がピタッと合わねばなりません。大ドームにかかる荷重を小ドームで受け流すわけです。ウガンダで建設するのは、これの1.5倍。生半可ではありませんが、この研修の成果を見て、うまくいくことを確信しています。

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 さて、先行して現地の諸状況の整理と視察に行っておられた天理大学の井上昭夫先生が帰国。敷地の写真を送っていただきました。ビクトリア湖畔のだだっ広い平地です。写真にわずかに見える赤い土山は蟻塚です。2006年にはこの蟻塚から土を得て小さなドームを一基、当地に建設しています。

 この草原にエコビレッジの第一棟の建設が8月から始まります。そのための残された準備をこなして、あとは現地の技術などと融合させながら、見たことないのに、どこか懐かしい根源的な空間を生み出したいと思っています。

2008年07月05日

大地の中の太陽。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。

 梅雨が明けたのか、最近は晴れ続きです。でも、さわやかに晴れるというよりは熱帯かと思うばかりの強烈な日差しと照り返し。この先思いやられます。

 さて、上の写真にあるように、東アフリカエコビレッジ模型の残された1クラスター(全体の1/3)がとうとう完成しました。黒い研究員のコツコツ制作もようやくケリがつきます。

 そんな中、この夏の東アフリカでの1棟建設に向けた打ち合わせが天理でありました。日本での事前準備だけでなく、当地で準備すべきことなど、さまざまな検討事項があるからです。渡航まであと1月強。そんな検討も、もう大詰めとなってます。

 打ち合わせを終え、土嚢研修の現場へ建設指導の河口さんと向かいました。

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 3回の研修を終え、2メートル直径の小ドームに覆いかぶさる大ドーム壁が10段積み上がってます。小ドームにぴったりとよりそい、壁の垂直もピシッとしてます。この2回の研修には顔を出せなかったのですが、河口さんによると、学生さん二人はとても優秀で工程をほぼ完璧に覚えたとのことです。アフリカでの建設本番の頼もしい人材の誕生です。

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 研修場は、第二期天理エコモデルセンター内にありますので、4年前に出来たドームの内外をいつも見て回ります。これは、天理探訪の際の恒例となった楽しみでもあります。ドーム頂部にはトップライトがあるので、日が差し込むのは当然ですが、

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 ドーム下部の地面にも、太陽の光が反射して眩しく照り返します。大地の中の太陽です。トップライトのあるドーム建築では当たり前の光景ではあるのですが、それでもどこか不思議に感じます。

 この後、研修場をあとにし、D研究所への帰路につきました。準備すべきことはまだまだあります。実施ヴァージョンの模型制作もすぐにはじめます。あと、一月。完璧にやれることをやって、本番をむかえようと思ってます。


2008年06月16日

土嚢研修と懐かしの1号。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。昨日、天理エコモデルセンターにて、東アフリカエコビレッジ建設に向けての打ち合わせと、土壌建設研修をしてきました。

 今回、東アフリカで作るのは、当方や天理大学が従来建設してきた土嚢シェルターの倍のサイズの大ドームを含みます。その高さもこれまでの二倍。そこで工程や足場の組み方も含めて入念な打ち合わせが必要となります。

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 また、天理大学の学生さん二人も建設に加わるので、彼らの研修も事前におこなわねばなりません。上の写真の二人が今回東アフリカに渡航する学生さんです。

 ちなみに彼らの後ろにある小さなドームが直径2メートルのもの。2年前にウガンダでの土嚢シェルター建設に備えて、建設研修のために作成されたものです。先日お伝えした御宿の三成拓也さんもここで、土嚢建設技術を習得されました。この研修後、昨年ウガンダにて「土嚢バイオガス野外トイレ」が三成さんの指導のもと、建設されたわけです。天理エコモデルセンターは土嚢建築展開の拠点なのです。

 パースが効いててわかりづらいですが、その奥に見えるのが直径3メートルのドーム。当方が標準型と呼んでいるものです。これらは第二期天理エコモデルセンターを構成するドーム群で、標準型ドームを6個組み合わせた複合体です。これは2003年〜2005年までの間に建設されました。当方が設計担当し、黒い研究員:江崎が監督として関わったものです。この標準型の2倍の高さを持つものが今回の東アフリカで建設するものです。並の規模ではありません。

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 東アフリカエコビレッジの住棟では、キッチンなどの機能をもつ、直径3メートルの標準型ドームの上に直径6メートルのリビングドームが乗ります。そこで、今回の研修では2年前建設した直径2メートルの小ドームの上に直径4メートルのドームをのせる建設実験を行い、いろいろ検討を重ねるわけです。この写真は2メートルドームから現場を見下ろしたもの。白い服を着て、建設指導にあたるのは、河口尊さん。

 2001年に当方が土嚢建築に関わった時から、ずっと土嚢建築建設を主導してくださっている同志の方です。彼は、当方および天理大学の土嚢建築展開の立役者です。最も数多く、最も美しく、最も合理的に、土嚢を積み上げる凄腕の職人さんです。彼なくしては、土嚢建築の展開は考えられませんでした。

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 上の写真は今回、いっしょに渡航する学生さんに丁寧に土嚢の積み方と整形の仕方を指導する河口さんです。

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 さて、今回の研修の合間に、第一期天理エコモデルセンターも探訪しました。これは当方が2002年に設計施工したもの。日本での土嚢ドーム第1号です。河口さん、黒い研究員:江崎、そして僕の土嚢建築に関わった原点ともいえるものです。

 塀の中は、植物が好き勝手に伸び放題です。大地と一体化しはじめています。

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 今回は、基本的に東アフリカでの建設に向けて、さまざまなことを整理して、まとめていくことが大きな目的だったのですが、それと同時に6年前に建てた、僕の土嚢建築建設の原点を見て何か不思議な感覚を受けました。少し未来に建つ建築と、少し過去に建った建築が、僕を貫くのを感じたわけですが、そんな個人の時間軸を超えて、まだ見えない遠い未来と、はるか昔の時間が、ここからつながっていくのを感じたのです。

 「すぐこことはるかかなたをつなぐ」
これは、D研究所のテーマですが、改めてそんなことを思ってました。さまざまな草花が生い茂る土嚢1号を見て。

2007年11月14日

脈打つ大地-広島土嚢「完成」-

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こんにちは。渡辺菊眞です。本日、二回目の広島土嚢ハウス建設から戻ってきました。

 11月13日午後3時40分に広島土嚢ハウスが「完成」しました。今回の土嚢ハウスでは、ドーム上部部分を厳密にコンパスを当てることをしないで積み上げていったので、すこしずつ捻れながら上へ上へ伸びあがって渦をまいていき、最後は、その頂部に小さな口(トップライト)が開く、まるで生き物のような不思議なかたちのものとなりました。

 なので外観はなんともいえないユーモラスな風貌なのですが、圧巻は内部で、まさに胎内空間が現出しています。当方が設計建設に関わった土嚢ハウスはこれが17基目ですが、いままでで一番胎内的な内部空間が現出しました。

 完成直後、この内部で広島大学院教授の町田宗鳳先生による落慶法要が行われ、この日、建設に関わった全員(25名)がこの中に入って読経(町田先生オリジナルのもの)し、それが胎内空間に響き渡って、全くの異空間の中にみなが溶けていくようなとても不思議な経験をさせてもらいました。

 さて、この土嚢ハウス、当初は竹の子学園の本格的な土嚢ハウスプロジェクト展開のための実験的建設といった位置づけだったのですが、建設が進むにつれて、どんどんその位置づけが変わってきました。

 建設に関わっていただいたみなさんが、この土嚢建築に愛着を持ちはじめ、単なる実験台ではない、確かな核として、この土嚢ハウスを捉えはじめたのです。なのでドームのまわりに土嚢ベンチをまわすことになり、今後は、さらにドームへのアプローチとなるような土嚢壁を設計することになりました。その壁などは学園の子供たちが少しずつ建設をしていくことになるようです。

 最初にはドームだけの図面を作成しましたが、建設が進んで、ドームが具現すると、それが盛り上がった第二の地形と化して、今度はその「地勢」に応じたような壁を築くことになったわけです。ドームを地形に見立てつつ図面を新たに描きます。おそらくですが、この壁ができたとき、今度はそれも新たな地形と化して、また違う何かがこの地形に加わっていくのではと思っています。

 まさに大地が脈打ち連鎖していくのです。いま、壁の図面を引きはじめていますが、それが今回できたドームに少しずつ加わっていく「脈打つ大地の風景」を楽しみに感じています。この土嚢ハウスプロジェクトはエンドレスにつながっていくような予感がしています。

 今回、冒頭で土嚢ハウスが「完成」したと記したのは、そういった理由からです。また同地を再訪して、地形の脈打つ姿を見たいと願っています。



2007年11月06日

中国新聞にて掲載。土嚢ハウス。

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 こんにちは。渡辺菊眞です。先の記事でも建設模様を報告させていただいていた「広島土嚢ハウスプロジェクト」が中国新聞に掲載されました(2007年10月29日)。

 来年には、さらに大きな土嚢ドームコンプレックス(複合体)を、同地に建設する予定です。

 過疎の地と言っても、とても元気な人たちと美しい風景があります。そこでの建設作業が同地の人と風景を新たな魅力を加味させながら活性化できることができたらと思っています。まずはこの小さなドームを起点にして。