2019年01月07日

吉野水分神社 建築に荘厳された聖なる空虚。

こんばんは。渡辺菊眞です。

年末は29日にD研究所のメンバーと吉野分神社に参拝にいきました。
初詣ならぬ、年収めの参拝といった感じでしょうか。

吉野水分神社は蔵王堂がある吉野修験行場の入口あたりから、奥に向けて4.5kmほど進んだ場所にある神社です。
蔵王堂門前に並ぶ吉野建て(崖に張り出した懸け造り建築)建築群が一旦尽きて、家一つない寂しい道を
歩きつつ、最後に神社門前に小さな村落が迎えてくれる、そんな場所にある神社です。


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本殿形式は特殊で、真ん中に春日造りの社殿が鎮座し、左右の相の間を介して三間社流れ造り(千鳥破風付き)が接続して全体に大屋根が架かるというものです。言葉は幼稚ですが、素直に格好いい社殿だといつも感じています。

水分神社はその名の通り、谷筋の源に位置し、水を守る神社です。


社地は狭小地であり、どうにか確保した長方形の平地をロの字型に囲いこんでいます。下の写真ですと向って左が本殿、向って右が拝殿です。
神門は矩形の短辺に位置するため、門をくぐると左右に分たれた拝殿と本殿の間にある空隙に導かれます。

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神門はモノトーンの他の社殿に比べるとひと際華やかです。

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また本殿と向き合う拝殿は質実な建築であり、重々しい暗がりを内にたたえています。

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さて、この拝殿ですが、裏側に回り込むとかなりの懸け造りであることがわかります。

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拝殿裏にある裏廻廊が宙に浮かびます。厳しい風雪に耐えて屹立する建築の姿が心に迫ります。

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懸造の拝殿は、建築成立の順序の証としてよく語られます。神さまの建築である本殿が先に平地を確保して立ち上がり、そのあとに形成される人の参拝場所である拝殿が平地不在のために懸造りにならざるを得ないというものです。

吉野水分神社の空間を改めて見るとき、厳しく立ち上がる拝殿の様相を中庭からは感じさせす、神の場への入口である神門を起点に左に質実な拝殿、右の高台に華やかな本殿があり、それに挟まれた何もない空虚が浮かび上がります。2つの横長建築に挟まれた奥行のある小さな平地こそが、神域であり、それを荘厳にするために社殿があるようにも見えます。谷奥の聖なる空虚。それが吉野水分神社ではないかと、思った次第です。

posted by 渡辺菊眞 at 20:48| Comment(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月05日

佐賀の茅葺き民家その3 クド造の展開力。

おはようございます。渡辺菊眞です。
昨日、奈良から高知にもどってまいりました。

どうでもよいですが、私の居た時間ランキング(2019年現在)で、1位:奈良22年 2位:京都 17年 3位:高知10年
となっています。どうでもよいですね。。

さて、今回は前回に報告したクド造の応用編です。

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これは肥前鹿島市にある、旧乗田家住宅です。農家ではなく、江戸時代後期の武家屋敷です。

玄関側から撮影したものですが、コの字型の屋根を把握できません。「L型じゃないか」と思ってしまいます。
これはコの字の背中側であり、Lにみえるのはコの字の一辺が延長されてカタカナの「ユの字型」になってしまっているからです。

応用ポイントとして、コの字を形成するウイングを適宜延長させることが可能ということです。

次に応用とは違いますが、この武家屋敷、壁の立ち上がりが非常に高いです。以前紹介した山口家住宅と比較すると、
その差は歴然としています(下が山口家住宅)。

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その結果、茅葺き屋根が建築全体のなかでしめる割合が小さくなり、機能というよりは象徴としての屋根に転じているようです。

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コの字で生じる屋根の空隙幅も広くなり、雨落としの片流れ屋根も相当な幅を持ちます。前回紹介したものと比較するとその幅広さはより
はっきりします(下が前回紹介した農家としてクド造。コの字の空隙幅はとても狭い)。

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幅広になると、耐風性が落ちることが予想されますが、壁の頑強さ、そしてユの字にしたことで風向きに対抗するヴォリュームが出来たこと、
そして相対的に縮小した屋根の大きさで対応しているものと予測できます。

そして、幅広い雨落とし屋根は、当然のその内部に広い空間を用意します。

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内部に目を転じるとベンガラに彩られた洒落たダイドコ空間となっていることがわかります。

また、茅葺きの寄せ棟屋根の一部には小さな2階空間を組み込んでいます。下の写真は2階の「子供部屋」です。

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厳しい条件と制約のなかで成立した農家のクド造は武家屋敷となり、平面形状に自由度がうまれ、屋根は象徴としての役目に転じ、コノ字の
空隙空間も広さを獲得します。また屋根の中に2階がしこまれるなど、平面だけでなく立体的な自由度も増します。

その一方で原型が持つ根源性は当然うすまっていきます。

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ところどころにある吹抜けからのぞく茅葺き屋根の暗がりが、根源性の「尾てい骨」のように、その原型の厳しさを静かにしめしています。

武家屋敷のほかにも街道町にたつ、町家としてのクド造など、他の応用例もこの近辺でみかけました。

「原型と応用」。
「原型なき応用」がそのバリエーションを無限に広げている現在建築を思う時、いまいちど立ち止まって考える必要を感じます。
佐賀で出会った民家たちには、そんなことを感じさせてくれました。

どうもありがとうございました。見たことが無駄にならないよう、改めて精進したいと思います。
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2019年01月03日

佐賀の茅葺き民家その2 クド造の民家

おはようございます。渡辺菊眞です。

佐賀の茅葺き民家その2です。今回はコの字の茅葺き屋根を持つ、クド造の民家について御報告します。

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写真は多久市にある、移築された2つのクド造民家です。移築されているとはいえ、この近隣にクド造の民家は多く、この地域周辺に
多くみられる民家の形式だといえます(漏斗造の民家よりは随分北方です)。

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それにしても、コの字で生まれる空隙のこの狭さ。もっと離すか、寄せ棟ひとつでまとめたら、など思ってしまいますが、これができないのは
先にあげた諸説によります。おさらいすると、

巨大寄せ棟屋根(この勾配のまま寄棟でまとめると超巨大な屋根になってしまいます)は冬の強風に耐えられない。
同じく、距離のあいたコの字だと、耐風対策の屋根として機能しがたい(風に対して平べったくなるので)。
使用できる梁に制限がある。

などです。

コの字になることで、漏斗造とは違って内樋にすることから開放されます。

コの字にはさまれた空間には極小の片流れ屋根がかかります。これは雨落としのための屋根ですが、この下にできる独特な小空間は、
活用すべき空間として積極的に意識されていきます。

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漏斗造の場合は漏斗下にできる空間と、下にあてがわれた室はほぼ連動なかったですが、クド造の場合はこの狭いながらも独特の空間形状
を意識した平面が組み込まれています。

コの字のクド造は、独特な屋根形式を持つとはいえ、何かここを起点に応用が効く形式であることが予感されます。
例えばコの字のウイングの一部を延長する(幾つもの延長パターンが予想されます)とか。。

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この応用が効きそうな空間性ゆえか、漏斗造と比較すると、この形式の民家はまだ数多く見ることができます。
具体的にはどんな応用が可能なのか?そんな応用編については、次回に御報告します。

渡辺菊眞

posted by 渡辺菊眞 at 10:30| Comment(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

佐賀の茅葺き民家その1。漏斗造。

おはようございます。渡辺菊眞です。

今回から昨年末に見た佐賀の茅葺き民家について御報告したいと思います。

まずは漏斗造の民家。
漏斗造りとは寄せ棟屋根の中央に、逆ピラミッド型、すなわち漏斗がある屋根形式を持つ民家のことです。
写真は国指定重要文化財の山口家住宅です。

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漏斗造である結果として、内部には漏斗が垂れ下がり、その最下部から内樋が外部に向けて貫通していきます。
なぜ、寄せ棟屋根にしきらないのか? ここには諸説があるようです。

使用できる梁の長さに制限があった。寄せ棟屋根を立ち上げきると冬期の強風に耐えることはできない(すっとんでいく)。などなど。

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いずれにしてもかなり特殊な屋根形状であり、さらに、ロの字型という自己完結的な形状ゆえに、この形式を保持するか、破棄するか。
という2択を迫られるようです(これを保持して部分的に増築をするなどの展開はほぼ見られません)。

ある種、強固な覚悟の上になりたつ空間形式だと感じました。この地に50年ほどまえには数多くあった漏斗造民家も、その多くは消失、
あるいは屋根形式を全く変えてしまうなど。そのことにより、その姿を見るのが難しいというのが現状です。

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外壁の最も低い箇所では1500mmしかなく、そこから大屋根が獣よろしく立ち上がっていきます。

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内部を貫通した樋はその舌先を雨水受けの桶に伸ばします。

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現在、山口家はご主人の山口さんが居住しながら家を守っておられます。穏やかな口調で家のことをお話してくださりましたが、その困難さや
家をまもっていくことの覚悟、そしてその迫力を感じました。

安直なことは言えないですが、例をみない珠玉の民家だと感じます。残っていって欲しいと切に願う住宅でした。
posted by 渡辺菊眞 at 09:52| Comment(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

解析完了。三佛寺の「超高度な構成」

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 こんにちは。渡辺菊眞です。本格的にGWに突入しましたね。黄金週間。何となく邦訳してみました。特に感慨ないですね。

 さて、そんな本格的黄金な時間に突入する前にD研究所総出で鳥取県の三佛寺の調査に行ってきました。もちろん、現在佳境を迎えている日本建築空間研究の完成に向けての調査(おそらく最終調査かも)です。

 三佛寺。ご存じでしょうが、奥の院投入堂で有名な寺院(ちなみに上の写真は文殊堂と、その欄干のない縁にひるむ緑の研究員)です。実は小生、この寺院には13年前と10年前、計二度探訪しています。ただその頃は日本建築の空間構成を研究している時期ではなく、むしろこの研究を始めようと思うきっかけになった探訪でした。それぐらい面白いと感じたわけです。

 ただ、皮肉なことに空間構成の研究を本格的にはじめて、逆にこの寺院への関心が薄れていた時期が長くありました。奥院は経路の始点となる宿入橋を越えて、両腕両足をふんばって急斜面をよじ登り、迫力ある懸造建築の文殊堂、地蔵堂を経て、観音堂、元結掛堂などがある薄暗い岩窟を回りこみ、とうとう、飛翔するような投入堂へと至る一本道の空間です。めくるめくシーンの展開がとっても魅力的であり、アスレチックのようにスリリングでもあるのですが、逆に構成としては「それだけやん」ってな気持ちがありました。言ってみれば「投入堂というとびっきりの目玉がある、シークエンシャルなアスレチック」という位置づけだったわけです。

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 しかし、それ以降、有名無名問わず、数多くの社寺空間を探訪し、それらの空間構成を考察し、空間構成というもの自体への考察も深めていくなかでそんな考えが変わってきました。

 どの構成にとっても根幹となる幾つかの基礎構成があること、また回転や分解、結合、縮小といった空間操作というものがあること、そしてそれら基礎構成や空間操作を複合する方法があること、さらにはそれらをもとに進化昇華して成り立つ「高度な空間構成」があり得ることなど、空間構成というものが整理深化されていった段階で改めて(小生の日本建築研究の原点となった)三佛寺の空間を解析してみようという気になったわけです。

 そこで足りない資料を集め、配置図を再度解析し、、、。すると、どうも「高度な空間構成」が複合して成り立つ、「超高度な構成」の存在が見え隠れしだしたわけです。これは、再度、現地へ調査し確認せねばなるまい。となって、今回の探訪とあいなったわけです。

 結論から言うと、確かにありました。高度な空間構成を複合させて成り立つ確固とした構成-「超高度な構成」-が!!

 ここに来て、小生が10年かけて考察を続けてきた日本建築の空間構成研究の完成がはっきり見えてきました。

 この寺院を「シークエンシャルでエンターティメント性溢れるアスレチック空間」ととらえていた時期には、投入堂へ至るまでの引き立て役にしか見えなかった建築たちが確固とした構成的役割を担う存在としてくっきりとその存在感を放ちはじめました。

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 その構成とはいったい?いま急ピッチでまとめております。完成した折りにしっかりとお伝えできたらと考えております。
posted by 渡辺菊眞 at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

日本建築-正面性の展開力-その2

 さて、少し間があいてしまいましたが、話しを先に進めていきたいと思います。
前回は、正面性のお話その1、ということで、具体例として、とある神社本殿を囲む回廊をとりあげ、その正面性についてお話しました。

 そこで、その神社の矩型の回廊は少なくとも(前回では4辺全てについて検証したわけではないので)、直交する2辺のそれぞれの方向に正面を持つ、つまり二つの正面性があるといったことを述べました。

 しかし、今回は、その回廊の残り2面を検証していくのではなく、そもそも、その回廊の中にはどんな本殿が入っているのかについてお話したいと思います。「とある神社」なんていって、もったいぶってましたが、別に隠すようなことでもないですし、何が入ってるのか公開します。

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 あの回廊に囲まれてこやつが鎮座してます。そう、屋根の谷間がくっついて、とっても雨仕舞いがたいへんそうな、このかたち。宇佐八幡神宮の本殿です。切り妻平入の社殿がふたつ合体したような特異な形状をしています。こいつ、有名な建築ですので、知ってる人はよく知ってると思います。

 さて、ではこの建築の正面性を検証していきたいと思います。何たって、このシリーズは「正面性の展開力」なんですし。そこで以下のような図をみてみましょう。

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 この図、ずいぶん前の吉備津神社の空間構成解析の時に紹介したやつです。日本建築にはたいがい勾配屋根がついてますので、その立面は三角屋根の形が見える方向(妻側)と、屋根が吹き下ろしてくる方向、すなわち立面的には屋根が四角く見える方向(平側)が生じます(ただし、ピラミッド型の屋根=宝形、四注屋根は除きます)。そして、この図を見てもわかるように、単なる造形としては明らかに三角型=「妻側」の方が、その正面アピール力は強いです。

 しかし、だからといって、日本建築は全てが「妻側」を正面に持つわけではなく、むしろ造形的には弱い「平側」が正面なことも多々あります。そして、この「平側」が正面な時に面白いことが生じるのです。

 「平側」に正面を設定しても、「妻側」の造形的強度は保持されます。それゆえ、設定上は正面でない「妻側」にも、造形としての正面性を有することになります。この日本建築の屋根の造形特質には注意が必要です。この特質をフルに活用して全体空間配置が構成されていることが多々ありますので。

 さて、このようなことを前提に再度、宇佐八幡本殿をみていきましょう。

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 これが本殿正面です。この本殿も「平側」正面なわけです。いわゆる設定上の正面です。

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 そしてこれが側面。要するに「妻側」です。八幡造りの場合は「妻側」がダブルであらわれるので、その正面表示力は単体の「妻側」のそれよりも強力です。

 そう、このように八幡本殿は、直交方向にふたつの正面を有する建築であるといえます。そして、このように見てくるとこれを囲む回廊が、直交するふたつの正面を有することにも合点がいくのではないでしょうか?

 つまり、西門から入って見える回廊の第一の正面性は、その中にある本殿「妻側」の正面を受け入れるものであり、

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そこから折れ曲がって南の楼門を中核にすえるもうひとつの回廊正面は、同じくのその中に位置する本殿の設定上の正面(=「平側」)を受け入れるものなわけです。

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 ただ、勝手に4面あるうちの2面の検証で止めてしまって、話しを進めていますが、回廊の残り2面、そして本殿の残り2面の話しはいったいどうなってるのでしょうか?そのあたりで、何か発見性のあることが言えないと、「正面性の展開力」なんて論はそれこそ展開できないでしょう。

 しかし、それを一気にやってしまうと長くなるし、ややこしいので、とりあえず、今回はここまでにしたいと思います。また次回をお楽しみにしてください。
posted by 渡辺菊眞 at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

日本建築-正面性の展開力-その1

 D研究所を開設した当初、当研究所の研究フレームを明示する目的で、数ジャンルの研究概要について、示させていただきました。

 もう随分前のことなので、忘れてしまったかと思いますが、その中で日本建築の空間構成についても、吉備津神社を対象にして触れました。

 また、前回の記事で、日本建築の空間特質について考察を進めていきたい動機についても簡単に記しました。

 というわけで、元来、僕自身の研究フレームの中心のひとつであり、かつ近頃、その考察を特に進めたいと考えている日本建築の空間構成について、ある程度連続して触れたいと思います。

 まずは「正面性」の問題から。

 いきなりですが、自分の好きな人の顔を思い浮かべてください。10秒くらい。さて、その人の正面にあなたは立っています。あなたの好きな人が目の前です。うん。ほんわか(あるいはドキドキか)といい気分になったことでしょう。次にその人の背後に回ってみましょう。あなたの好きな人の背中です(なんだかしつこいな)。視線を背中から上の方にじょじょに移します。そこには好きな人の頭はなく、あなたの全然しらない老婆(あるいは爺さん)の顔が、、。こちらにもいや〜な正面が!!どこかはるか彼方にほんわかいい気分(あるいはドキドキな気分)はすっとんでいったでしょう(別種のドキドキはあるかもしれんが)。

 これは衝撃的な経験です。正面という言い方には、その裏返しとして背面ということが想定されてます。でもその背面にも正面がある場合はダブル正面となり、背面はなくなってしまうのです(あるとしても背面ではなく「明るい正面」と「暗い正面」などの対照的な2正面となります。「二重人格」「分裂症」などを想起されたい)。
正面の在り方によって、そのものの特質が変化するだけでなく、それが周辺にあたえる影響も大きく変容します。

 それは建築空間にとっても、非常に大きな要素です。そして、日本建築においても、この在り方は極めて大きな意味を持ちます。

 というわけで、しばらく、この正面性の問題を取り上げてみたいと思います。

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 これは、ある著名な神社の本殿を囲む回廊と中門です。上の写真の(メインアプローチに位置する)門をくぐると、その姿をあらわします。門からのアプローチの仕方からいっても、明らかに、ひとつの正面を形成してます。

 しかしここを直角に折れると、、、

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 重層の楼門を中核に据えた、もうひとつの正面があらわれます。意匠(デザイン)的観点からいっても、こちらも明らかに強い正面性を有しています。

 直角方向のダブル正面の例です。

 では、何故、こんなことが生じるのか、そしてそれがどんな意味を有するのか、そしてそれが示す展開力を、次回からみていきたいと思います。前フリの長さの割りに本編がやたら短くて申し訳ないですが、今回はここまでです。想像している以上に重要なのですよ。正面性は。ではでは、今後の展開をお楽しみに。
posted by 渡辺菊眞 at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

「目からウロコの日本建築」-実例編その2-

 さて、今回は「目からウロコの日本建築」実例の解析編です。前回吉備津神社の空間を経路にそって疑似体験してもらいましたが、そこでわかった不思議な点を以下にまとめておきます。

1、全体空間の中核である本殿は全体の中のかなり始点よりにある。

2、その始点にほど近い本殿へ向けて、その経験を劇的にするかのようにしょっぱなから門型の建築が畳み掛けるように直列的にあらわれる。

3、しかし前半が高密度であるものの、いかんせん距離がなさ過ぎて空間経験のピークはすぐに終わってしまう。また本殿は巨大にもかかわらずその中核部分も引きがなく、拝殿からの見えに劇性はない。

4、断たれた線形的行動への欲求は本殿脇の回廊が満たしてくれるように思うものの、回廊空間での経験は単調であり、しかもその果てには何も見るべきものがない。

5、本殿の比翼入母屋造りという特色ある外観形状と、内部の階段状ピラミッド的な求心的平面。この両者が噛み合わないという空間の不思議が、全体空間におよぼす意味が不可解。

 だいたい以上です。では上記のことをまずは配置図で確認していきましょう。

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 この配置図下部が境内の始点となります。こうして改めてみると、始点から本殿に至るまで、やはり非常に高密度に建築がひしめいていて、えらく前半にクライマックスが来ることがわかります。それに比べてただただ、長大なだけの回廊が際立ちます。

 このようにほぼひとつの軸線に沿って建築が直列に並ぶ様を、「線形直列空間」と呼ぶことにします。吉備津神社はひどく前半高密度型の「線形直列空間」と言えます。しかし、このことは配置図を見る前からわかっていたことであり、これだけでは空間の不思議は何も解けません。そもそも蛇足に見える後半のダルイ回廊の意味は全くわかりません。

 あの長くてダルイ回廊、ほんとにいったいなんなのでしょうか。全くオチあらへんし。ただ、もうちょっと丁寧に思い返すと、回廊のところどころに気になる要素があった気が、、、。

 回廊を歩きながら、その進行方向と直交する向きを見ているとこんなものたちがあったのです。

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 こんなのや、

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 こんなのや、

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 こんなのです。

 これは吉備津神社附属の小さな社で、末社といいます。これらの末社が、吉備津神社の立地の所以たる神の山:「吉備の中山」を背にしながら並んでいるのです。基本的に地味な存在なのであまり気にとめられないことが多いのですが、これらが神の山を背にしているわけですから、無視するわけにはいけません。

 そこで、この末社の並びに着目して再度全体配置を見てみることにします。

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 うん?そうか。回廊のダルサはこういうことか!って、ならないでしょうか?どういうことかといいますと、そもそもの間違いはこの回廊が空間経験者の行動を誘導する、すなわちその中を歩かせるための装置として捉えていたことなのです。この回廊、もちろんそのような行動を誘導する装置でもあるのですが、それよりももっと重要なのは、聖なる神の山(=「吉備の中山」)の領域を聖域として結界する装置だってのです。「この回廊(=境界線)よりこっちは聖域ですよ」といった具合に。そして、そのことをこの地味な末社たちが指し示してたわけなのです。神の山を背負って並列的に並ぶことで、、。

 こう見てくると、吉備津神社の前半と、回廊のある後半は明らかに性質の違う空間であることがわかります。前半は線形的な行動を加速させる「高密度な線形直列空間」で、後半は末社が並列しながら山を背負いしかもその山を回廊で結界する空間(「回廊による結界空間」)なのです。

 さて、ここからが本当の核心です。この全体の中で吉備津神社本殿はきわめて興味深い位置をしめます。そう、本殿は「線形直列空間」の終点であり、かつ「回廊による結界空間」の始点でもあるのです。要するに前半と後半の境界上にあるわけです。

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 この視点にたって、改めて本殿の「かたち」の仕組みをみていきましょう。まずは平面構成からです。

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 本殿平面はクロスする軸線によって構成されており、それがひとつの謎でしたが、これも全体空間とこの本殿がしめる位置を考えるなら合点がいきます。そう、拝殿から奥行き方向へ向かう軸は、前半の線形直列空間を受け止める軸であり、それに直交するもうひとつの軸は神の山:「吉備の中山」方向を向く軸、すなわち全体空間の後半に同調する軸なのです。前半と後半の境界に位置するこの建築は、その内部においても境界的、両義的な空間となってるというわけです。

 残りの謎は比翼入母屋造りという、特異な外観です。これはどう考えるといいでしょうか?

 吉備津神社本殿というと、やはりおなじみのこの姿が思い浮かぶでしょう。

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 しかしながら、このお馴染みの姿は言ってしまえば単なる側面にすぎません。造形的にとっても濃いのに、側面なのです。実はここに日本建築の屋根形状に潜む両義性があります。

 日本建築の屋根は基本的に三角屋根です。この三角屋根のそれこそ三角が見える側を「妻側」、屋根が四角く見える方を「平側」といいます。

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 図で示すと上のようになります。そして妻側が建物正面を向いている場合は「妻入り」といい、平側に正面がある場合は「平入り」といいます。吉備津神社本殿の屋根は特異なかたちをしてますが、基本的には入母屋屋根がふたつと考えたらよく、つまるところ「平入り」です。

 さて、この「妻」と「平」ですが、造形としては圧倒的に「妻側」の方が強いです。家といえばイメージとして「妻側」を思い出してしまうのも、その証拠といえるでしょう。そして吉備津神社本殿にはこの妻が二つもあるわけで、そりゃそちら側の印象が濃くなるわけです。ここに吉備津神社本殿の外観の両義性があるわけです。側面が濃いのに実際には「平側」が正面であり、濃い「妻側」は側面、しかもそれは山側を向いているわけです。

 そうです。印象薄い「平側」の正面を、拝殿や総拝殿、などを次々と畳みかけることでどうにかその弱さを補填し、造形の強い妻はそのまま神の山を向くわけです。つまり、外観においても全体空間の前半と後半の双方に奉仕するクロスする造形が仕込まれているのです。

 なので、平面構成と屋根構成は一見噛み合わないですが、その実、これらはともに同じ意図のもとに造形されているのです。これこそが謎めいた本殿の「かたち」の意味であり、そしてへんてこな全体空間の意味でもあるのです。本殿は全体の特性の結晶といってしまってもいいかもしれません。

 やるじゃないか!!吉備津神社。

 どうでしょう?このように見るととっても面白くないですか、日本建築。僕はこの見方でウロコがいっぱい目からこぼれましたが、みなさんはいかがでしょうか?ウロコなんて全く落ちず、金魚のフン程度にしか感じていただけなかったら、さすがにとても哀しいですが、、。

 D研究所ではこのような視点から、有名無名の面白い日本建築の「かたち」の「しくみ」を研究しています。不定期に日本建築探訪しておりますので、興味ある方、御一緒できたらと思います(どうやって御一緒するんだ連絡先もよくわからんのに)。

 どんどん長くなるブログ(これ、ブログっていうんかい)ですが、次回はもっとコンパクトにいこうかと思います。保証はしかねますが。

posted by 渡辺菊眞 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「目からウロコの日本建築」-実例編その1-

 「目からウロコの日本建築」、今回は実例編です。実例として登場していただくのはこの建築です。

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 これは吉備津神社本殿と拝殿です。この建築、御覧いただいてわかるように日本建築の中では珍しく単品でも十分に魅力ある建築です。まず、立面写真ですが、ふたつの入母屋屋根が結合してひとつの大屋根を形成しています。二つの妻面(三角屋根)が並んでいるのが印象的で「比翼入母屋造」といわれるものです。

 次に平面ですが、中央の内陣を囲いこむように二重の柱廊が巡ります。非常に求心性の高い平面で中央に向かって四方(正確には前方と両側面の三方)から階段が伸びて上昇する様は、階段状ピラミッドのごとしです。

 さて、立面、平面ともにたいへん特色のある建築なのですが、何よりも大きな特色は、立面と平面が噛み合わない、正確にいうと立面の様相から平面の様相を想定できない、あるいは平面の構成からその屋根形状が予測できないということです。

 立面の拝殿+比翼入母屋の屋根から察すると、後ろの入母屋部分に内陣があり、奥行き方向に向けて上昇していく、あるいは上昇はしなくても前後に内部が分割されている平面形式を想定するでしょう。ですがそうはなっていないのです。平面は直交方向にクロスする階段が中心部に向けて上昇しています。この空間の不思議はどこから来るのでしょうか?

 もちろん、この巨大建築は一気に成立したものではないので、本殿形式の発展成長という観点からそれは読み解くこともできるかもしれません。しかし、そのことで、現在見るこの空間の不思議や魅力の秘密は解けません。この不思議な空間は、現在ここに「あたかもはじめからそうであるように」存在していて、しかもそれを含む全体空間は現在において不思議な空間として成立しているのです。歴史的な変遷を追わずとも、現在の空間の在り方だけでもその不思議を成立させる構造がまさに「いまここに」あるはずなのです。

 ただし、そのような構造を読み解くためには、この建築単品だけの考察では無理でしょう。そこで前回お話した、全体空間からこの建築の在り方を読みといていきたいとおもいます。まずは、全体がわかる見取り図を示し、そのあと全体空間を経路に沿って追体験してみましょう。

 吉備津神社境内案内図+.jpg

 吉備津神社本殿は非常に有名ですが、これがどういう全体の中にあるのかはあまり言及されることはありません。ここで注目して欲しいのは本殿はかなり右(北)よりに位置していて、現在の参拝ルートからいうと境内始点からすぐそこの位置にあることです。また本殿脇からはるか後方に向けて長大な回廊があることにも要注目です。ではこの見取り図を頭にいれながら境内を体験してみましょう。

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ここが境内の始点です。この石段を登っていきます。

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石段を登ると、まず目の前に現れるのは北随神門です。

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この北随神門から、さらに続く石段の先を眺めます。もうひとつ門型の建築が現れます。総拝殿です。

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総拝殿が頭上に覆いかぶさるように迫ってきます。

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どんどん迫ります。目標(本殿)へ向けて緊張感が高まります。

06総拝殿から本殿見る+.jpg

総拝殿を介して、拝殿さらにその先に本殿の正面扉が見えます。

07拝殿から本殿を見る2+.jpg

本殿前面に張り付いた拝殿の柱廊を介して本殿内陣までいたる階段が見えます。意外と本殿内陣まで距離がありません。あれっ?さっきまでの高揚感がなんだか減退気味です。えらい近いなあ〜。

08本殿北東側+.jpg

なんだか納得できないので本殿正面からずれて東側にまわりこみます。

09本殿東側全景+.jpg

まわりこんで、東側面をみます。おおっお馴染みの本殿の勇姿です。格好よいです!巨大です!!しかし、、この巨大さに比して、先程正面の本殿核心の、あっけない近さがやはり納得できません。石段を登って次々と迫る北随神門、総拝殿のあたりで経験的高揚感が早くもピークに達してしまい、本殿前ですでに萎えてしまうとは何たることでしょうか!?先へ先へと急いていた気持ちのやり場をどうすればいいのでしょう?あっけなすぎます。そこで本殿の反対側へ回り込んでみると、、、。

10回廊始点+.jpg

何やら回廊らしきものが本殿脇にとりついています。

11回廊内観4+.jpg

おおっ!!これはよさげな雰囲気。何よりも断たれてしまった先へ先へという気持ちを満たしてくれそうです。

12回廊内観3+.jpg

これは長そうです。あんな早くに終わらなそうです。

13回廊内観2+.jpg

長そう、、どころではなく、本当にむちゃくちゃ長いのでは。いよいよ本格的に回廊が始まります。

14回廊外観1+.jpg

どんだけ長いのか?その外観を見ると、、、これは凄い。遥か先まで続いています。しかし、、、。

15回廊内観1+.jpg

長い。長い。長い、、、。単に長いだけとちゃうの?実はとくにこの回廊内部にはしかけもなく、とても単調なのです。飽きてきたなぁ。これはオチに何かあるに違いない。きっとそう。てっいうかオチないと許しません。

16回廊果て+.jpg

とうとう来ました!これが回廊の最果てです。おおっ!!うん。全然オチません。何ですか、このしょぼい鳥居とオレンジの冊。そして、その向こうのフツーのアスファルトの道は!、、、正直最低です。
「思っていた人と、違ったの」お別れの際によく女性がいう(男性としてはもっとも聞きたくない)定番の台詞でさえいいたくもなるってもんです。

17本殿遠景+.jpg

回廊をはずれて来た道を振り返ってみます。と、はるか上方に屹立する本殿。やはり存在感あるのですが、どうにも納得いきません。最後の回廊は本殿からだらしなく伸びた「金魚のフン」の中を歩いていたかのようなダルさなのです。一体全体この全体空間は何がどうなっているのでしょうか?欲求不満とともに、それでも何ともいえない奇妙さと不思議さが漂います。

 ここで一度体験レベルの話をおいておいて、全体配置から、この不思議さの秘密を解いていこうと思います。果たしてこの空間にはどんな秘密が隠されているのでしょうか?すごくいいところなのですが、とっても長くなりましたので、ひとまずはここまでにしたいと思います。

 実例編その2をお楽しみに。

posted by 渡辺菊眞 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月05日

「目からウロコの日本建築」へ御招待

 「目からウロコの日本建築」。こんな表題なのに、のっけから申し訳ないですが、僕は長らく日本建築が嫌いでした。「食わず嫌い」というのが、その真相なのですが、より正確にいうならば、食欲を減退させる状況があったのも確かです。

 日本建築(ここでは寺社に限ることにします)は、基本的に木造であり、その肌合いの優しさや、周辺環境(自然風景)への親和性が、とかく情緒を発生させてしまうため、それに対する建築家の言説も例えば以下のようなものが多いのです。

「神域は最小限の簡素なものであり、巨大な杉の老木に囲まれて、薄暗く木漏れ日のさす森のなかにそっと立っている。自然と対立するというよりは、それに包まれて-」

 嗚呼、寒気がしてしまいます。そんなようなことを感じるのはもちろん素晴らしい感受性ではありますが、エッセイストでもない建築家が建築家として発言するならば、これはないでしょう。こういうのは、「思ひ出日記帳」にそっとしたためて、鍵付きの引き出しの中にしっかり保管しておいて欲しいものです。

 もちろん、こんな言説ばかりではないですが、とかく単建築の様式のお話であったり、木の架構技術だったりで、少なくとも僕には全く面白くありません。そして何よりも単品の日本建築の平面図、立面図、断面図、写真ともに何ともカビ臭く、全く興味がわかないのです。にも関わらず若くして日本建築が好きな方々は、その渋くて気品あるよき趣味を誇るものです。もう、うんざり。

 こんな状態が長らく続いたのですが、個人的に不可避な状況が訪れて、日本建築を探訪せざるをえなくなったのでした。ほとんど期待もせず、探訪を始めたのですが、、、。なんと、とっても面白いじゃないか、日本建築!!もちろん、全てが面白いわけではありません。ただ、ある観点から見ると、そして、その観点から解析を始めるととても面白いのです。

 今回は、そのような日本建築の見方、そしてその空間の解析の仕方のお話をしたいと思います。まずは概論ということで、次回に具体例を示してこの見方の魅力と効力を示したいと思います。

 先ほど、述べたように日本建築は、単品の建築についてあれこれ述べられることが多いのですが、寺院、神社において、その境内が単一の建築のみで成立しているなんてことはほとんどありません。古代寺院の伽藍は勿論、そうでなくとも大概複数の建築が配置されて、一つの寺院ないし神社空間が形成されているのです。

 そして、その全体空間や、全体の中での単一空間、単一空間どうしの関係など、それらの在り方こそが極めて面白いのです。日本建築はそれらの在り方を構築することにかけてはとんでもない魅力を発揮します。

 そんなことを言われてもピンと来ないと思いますので、これから、そのことを図解しながら説明してみましょう。

  日本-構成-01-1.jpg

 この枠内にある■を単品の日本建築だと思ってください。ですので上には6つの単品日本建築があるわけです。これらはまだ配置されてない状態にあると思ってください。

 日本-構成-01-2.jpg

 これを例えば上のように配置してみます。ひとつの軸線上にそって一列に並んでいます。「線形空間」とでも言える全体型です。

 日本-構成-01-3.jpg

 次にこんな並べ方。クロスする軸線上に建物を配置してます。縦軸を対称軸とした「対称空間」です。

 日本-構成-01-4.jpg

 さらにこんな並べ方。閉じたリング上に建物が配置されてます。「円環空間」とでも呼びましょうか。

 さて、これでわかったかと思いますが、同じ種類、同じ数の単品建築でも、その配置の仕方で、それが形成する全体空間はまるで違ったものとなるのです。それぞれの配置形式を取る寺院/神社空間へ探訪した情景を思い浮かべてみてください。互いに全く違った経験となるはずです。単品の建築のみにこだわっていては見えない世界が広がっているわけです。しかも単品建築同士の差異なんかとは比べようがないほどに、配置形式の違いが生み出す空間的差異は大きいのです。そしておそらく日本建築空間は何よりもそのことを強く意識して形成されているのではないかと思えるのです。

 ただ、これだと話が大雑把すぎますのでもう少し丁寧に見ていきたいと思います。

 日本-構成-01-5.jpg

 先程と同じ、単品建築が6つあります。そのうち、あなたのお目当ての建築がAであるとしましょう。そしてこのAに着目してください。

日本-構成-01-6.jpg

 これは上記の「対称空間」ですが、お目当てのAが取る位置によって、そのAを訪れその空間を経験する様がまるで違ったものとなるのがわかると思います。また、Aがこの全体の中で最も主要な建築だとすると、右側のような外れた位置にある場合は全体空間が奇異に映じるでしょう。このように、同じ配置形式でもそこにおける単品建築のポジションによって全体空間の在り方が大きく変わってくるわけです。さて次の段階に移りましょう。

日本-構成-01-7.jpg

 これは「線形空間」です。配置形式としては最も単純なものと言えるでしょう。しかし、ちょっとしたことでこの配置形式も不思議な空間となりえます。

 図中の▲印に注目してください。これは単品建築の正面の向きを表しています。左側では全ての建築が下側を向いていることになり、全体で一つの正面を有する空間となってます。しかし右側を見て下さい。Aだけが左を向いています。これだけで全体がひどく歪んだ空間に映じるはずです。そして考えます。何故Aだけがこの向きなのか?Aだけ違う信仰体系にのっているのか?それとも左隣の建築に反応しているのか?などなど。このようにして、一見、単純な「線形空間」に思えたものが、何か別の世界のことを孕んだ空間へと化していき、その風景は深まっていくのです。

 どうでしょう?このように見てくると単品だけに着目した日本建築の見方や、空間の骨格を無私して、情緒だけに溺れた個人的耽美的感慨の吐露のつまらなさが露呈しはしないでしょうか?ただし、いま提示した見方がどれだけの魅力を有するのかは、今回の説明だけでは不十分だと承知しております。

 というわけで、次回は有名な単品日本建築をひとつ取り上げ、それを題材に単品から全体へ、そして全体から単品へとフィードバックしながら、この見方によって日本建築の空間的魅力をあぶり出していきたいと思います。

 乞う御期待、です。
posted by 渡辺菊眞 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | Spatial composition of Japanese Architecture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする