現在僕は、葬送地研究に取り組んでいる最中です。その一環として、「墓地研」(墓地空間現象研究会)を僕が在学する滋賀県立大学の有志とともに展開しつつあります。墓は、この世に生きた人々が、死者を想って生み出されたもの。彼等は必死になって、何処にどういうふうに作ろうかと考えに考え抜いたあげく、カタチとなった墓地がいまある。そこで、昔の人々の他界観なり世界観なりが墓地のカタチにどのように現れているのか?!を探るため、実際に墓地を訪れ自分の体験のみをたよりにそれを解明するのが、この研究会の目標です。
4月20日はその「墓地研」がありまして、琵琶湖の北端の湖北地方の集落を探訪しました。D研究所の赤い所長も参加しています。写真は墓地探訪のようすです。写真に赤いのを身にまとった人物がいないので、この写真は赤い所長が撮影したことが分かります。
今回訪れた墓地のなかで、特に興味深かったのが、集落「菅浦」の墓地です。竹生島から最も近い琵琶湖岸の入り江にあり、形成当初のまちのかたちがいまでもほぼ完全に残っています。日本とは思えないような空間で、墓地だけでなく集落全体が面白いのですが、、、。
ここ菅浦の墓は両墓制です。両墓制とは、死体を埋める墓「ウメバカ」と死者のために石塔を建てお詣りをする「マイリバカ」を別々に離れた場所に設けるものです。写真はウメバカです。興味深いのはこれらの立地です。ウメバカは集落から比較的離れたところにあります。
ウメバカから集落を見た写真です。湖岸沿いに住居が建ち並び、その背後の山裾の少し上ったところにマイリバカあるのが分かります。
マイリバカからウメバカを見た写真です。このように、人が集まって住む場所にお詣りのための墓があり、湖を挟んで向こう岸に死者が眠る墓があります。それらは明確に二分化されつつ共存することで集落世界が成立しているのです。
このように、琵琶湖岸というおんなじ条件の住まいの立地において、それぞれの墓地のあり方をしばらくは探求したいと思います。